今宵から阪神巨人3連戦。ゲーム差5。どうなりますか。(哲




2013ソスN8ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2782013

 いなびかり満たす塩壼砂糖壼

                           花谷和子

の句、切れるのだろうか。上五の「いなびかり」で切ると、雷による稲光のなかで、塩壼に塩を、砂糖壼に砂糖を満たす。日常の行為でありながら、稲光に照らされたことによって、どこか満たされない思いの代償としてのふるまいに見えてくる。と、ここまで書いてふと気づく。やはりこの句、一章なのではないか、と。すると塩壼、砂糖壼がいなびかりで満たされているというのである。こちらの方が断然面白い。どちらも真っ白でさらさらな形態ながら、味覚としてはまったく逆の性質を持つ。雷が稲を実らせるという信仰から「稲妻」という言葉は生まれた。その伝でいくと、稲光によって塩壼砂糖壼の中身はそれぞれふさわしいものへと姿を変えていくように思えてくる。〈ちから抜く森よいずこも木の実降り〉〈過去は過去透きとおるまで百合根煮て〉『歌時計』(2013)所収。(土肥あき子)


August 2682013

 鳥渡とは鳥渡る間や昼の酒

                           矢島渚男

句には「鳥渡」に「ちよつと」と振り仮名がつけてある。「鳥渡」も、いまや難読漢字なのだろう。私の世代くらいまでなら、むしろこの字を読める人のほうが多いかもしれない。というのも「鳥渡」は昔の時代小説や講談本に頻出していたからである。「鳥渡、顔貸してくんねえか」、「鳥渡、そこまで」等々。「鳥」(ちょう)と「渡」(と)で「ちょっと」に当てた文字だ。同じく「一寸」も当て字だけれど、「鳥渡」はニュアンス的には古い口語の「ちょいと」に近い感じがする。それはともかく、この当て字を逆手にとって、作者はその意味を「鳥渡る間のこと」として、「ちょっと」をずいぶん長い時間に解釈してみせた。むろん冗談みたいなものなのだが、なかなかに風流で面白い。何かの会合の流れだろうか。まだ日は高いのだが、何人かで「ちょっと一杯」ということになった。酒好きの方ならおわかりだろうが、こ「ちょっと」が実に曲者なのだ。最初はほんの少しだけと思い決めて飲み始めるのだけれど、そのうちに「ちょっと」がちつとも「ちょっと」ではなくなってくる。そんなときだったろう。作者は誰に言うとなく、「いや、『鳥渡』は鳥渡る間のことなんだから、これでいいのさ」と当意即妙な解釈を披露してみせたのである。長い昼酒の言い訳にはぴったりだ。これは使える(笑)。『百済野』(2007)所収。(清水哲男)


August 2582013

 稲づまや浪もてゆへる秋津しま

                           与謝蕪村

夏は全国的な酷暑でした。それに伴って雷も多く、各地では、花火が中止になる被害もありました。私も落雷のため、小田急線に三時間以上、車内待機の夜がありました。稲妻は、古代より、稲に命を宿すはたらきがあると信じられてきたので、稲の妻と呼び習わされてきましたが、近年の研究では、雷が大気中の窒素の反応を促して、作物の生育に有用な化合物を田畑に落とすという考察があり、古代人の直観力のすぐれていたことに驚きます。掲句の「ゆへる」は、垣を結いめぐらす意で、「秋津しま」は日本の総称です。蕪村は、稲光りが一瞬、日本列島を照らし、四方の浪が垣根を作るように静止した瞬間をとらえています。昨年、NHKスペシャルで、人工衛星から見た雷の映像を見ましたが、蕪村はすでに、想像の中で俯瞰していたんですね。「蕪村句集」(1992・岩波文庫)所収。(小笠原高志)




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