東京地方、今日はまた暑さがぶりかえしそう。もう少しの辛抱だ。(哲




2013ソスN8ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2882013

 夏終る腹話術師の声の闇

                           高橋修宏

形を抱いて愛嬌たっぷり登場する腹話術師、その唇をほとんど動かさずにしゃべるという珍しい芸に、子どもの頃から見とれて感心するばかりだった。パクパクする人形の唇と腹話術師の唇を、秘密を探るがごとく交互に見比べる。いまだにそうだ。もともとは呪術や占いとして使われ、紀元前五世紀頃にはギリシアの聖職者が腹話術を使ったりしたのだという。それが十八世紀頃から次第にショー化してきたという歴史があるようだ。現在の日本では芸人「いっこく堂」のすぐれた腹話術がよく知られている。彼は二体の人形も見事に使い分ける。日本腹話術師協会には三百人以上の会員がいるらしい。唇をほとんど動かさずに人形の言葉を発する芸には、感心してただポカンと見とれているわけだが、それを修宏は「声の闇」ととらえたところが、ただのポカンとはちがって緻密である。もともと呪術や占いとして発生したことを思えば、「声の闇」の神秘性には測り知れない奥行きがありそうだ。「夏終る」という季語と相俟って、その闇の神秘性を一層考えさせ、闇はむしろ素敵に深まるばかりではないか。他に「首都五月屈めば見ゆるされこうべ」がある。詩人にして俳人。『虚器』(2013)所収。(八木忠栄)


August 2782013

 いなびかり満たす塩壼砂糖壼

                           花谷和子

の句、切れるのだろうか。上五の「いなびかり」で切ると、雷による稲光のなかで、塩壼に塩を、砂糖壼に砂糖を満たす。日常の行為でありながら、稲光に照らされたことによって、どこか満たされない思いの代償としてのふるまいに見えてくる。と、ここまで書いてふと気づく。やはりこの句、一章なのではないか、と。すると塩壼、砂糖壼がいなびかりで満たされているというのである。こちらの方が断然面白い。どちらも真っ白でさらさらな形態ながら、味覚としてはまったく逆の性質を持つ。雷が稲を実らせるという信仰から「稲妻」という言葉は生まれた。その伝でいくと、稲光によって塩壼砂糖壼の中身はそれぞれふさわしいものへと姿を変えていくように思えてくる。〈ちから抜く森よいずこも木の実降り〉〈過去は過去透きとおるまで百合根煮て〉『歌時計』(2013)所収。(土肥あき子)


August 2682013

 鳥渡とは鳥渡る間や昼の酒

                           矢島渚男

句には「鳥渡」に「ちよつと」と振り仮名がつけてある。「鳥渡」も、いまや難読漢字なのだろう。私の世代くらいまでなら、むしろこの字を読める人のほうが多いかもしれない。というのも「鳥渡」は昔の時代小説や講談本に頻出していたからである。「鳥渡、顔貸してくんねえか」、「鳥渡、そこまで」等々。「鳥」(ちょう)と「渡」(と)で「ちょっと」に当てた文字だ。同じく「一寸」も当て字だけれど、「鳥渡」はニュアンス的には古い口語の「ちょいと」に近い感じがする。それはともかく、この当て字を逆手にとって、作者はその意味を「鳥渡る間のこと」として、「ちょっと」をずいぶん長い時間に解釈してみせた。むろん冗談みたいなものなのだが、なかなかに風流で面白い。何かの会合の流れだろうか。まだ日は高いのだが、何人かで「ちょっと一杯」ということになった。酒好きの方ならおわかりだろうが、こ「ちょっと」が実に曲者なのだ。最初はほんの少しだけと思い決めて飲み始めるのだけれど、そのうちに「ちょっと」がちつとも「ちょっと」ではなくなってくる。そんなときだったろう。作者は誰に言うとなく、「いや、『鳥渡』は鳥渡る間のことなんだから、これでいいのさ」と当意即妙な解釈を披露してみせたのである。長い昼酒の言い訳にはぴったりだ。これは使える(笑)。『百済野』(2007)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます