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September 0292013

 こときれてゆく夕凪のごときもの

                           五十嵐秀彦

集では、この句の前に「眠りつつ崩るる夏や父の肺」が置かれているので、同じく父上の末期の様子を詠んだものだろう。島崎藤村が瀕死の床にあった田山花袋に「おい、死ぬってどんな心持ちだ」と呼びかけた話が残っているが、私も年齢のせいで人の死に際には関心が高くなってきた。夢の中で自分の死をシミュレートしていることに、はっと気づいて目覚めたりもする。夏の夕暮れの海岸地域では、海からの風が嘘のようにぱたっと落ちて、息詰まるような暑さに見舞われるが、人生の最後にもまたそのような状態になるのだろうか。つまり、傍目には死の病の苦しみがばたっと止んだように見え、しかし高熱だけは残っていて、そこから死が徐々に確実に忍び寄ってくる。と、作者にはそう思えたのだ。他者の死にはこれ以上深入りできないわけだが、この「風立ちぬ いざ生きめやも」とは正反対のベクトルがはっきりしているという意味で、私にとっては印象深い抒情句となった。『無量』(2013)所収。(清水哲男)


September 1292013

 新涼や夕餉に外す腕時計

                           五十嵐秀彦

井隆の『静かな生活』に「腕時計せぬ日しばしば手首みる小人(こびと)がそこにゐた筈なんだ」という一首がある。腕時計は毎日仕事にゆく生活をしている人にはなくてはならない小道具。分割された時間に動く自分を縛るものでもある。岡井の短歌は手首で時を刻む腕時計そのものを勤勉な小人の働く場所と見立てのだろうが、「腕時計」をはずすときは自分の時間を取り戻すときでもある。掲句では、家族とともに囲む夕餉に腕時計をはずす、その行為自体に新涼の爽やかさを感じさせる。腕時計と言えばベルトも革製のものとメタルのものがあるが、少し重さを感じさせるメタルの質感がこの句の雰囲気にはあっているように思う。昼の暑さが去り、めっきり涼しくなった夕餉時、ひと仕事終えた解放感とともに、食卓に整えられた料理への食欲も増すようである。『無量』(2013)所収。(三宅やよい)




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