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September 1192013

 かきくわりんくりからすうりさがひとり

                           瀬戸内寂聴

字を当てれば「柿榠樝栗烏瓜嵯峨一人」となろう。一読して誰もが気づくように、四つの果実の「K」音がこころよい響きで連続する。しかもすべて平仮名表記されたやわらかさ。京都・嵯峨野の寂庵に住まいする寂聴の偽りない静かな心境であろう。秋の果実が豊富にみのっている嵯峨にあって、ひとり庵をむすんでいることの寂寥感などではなく、みのりの秋のむしろ心のやすらかさ・感謝の気持ちがにじんでいる、と解釈すべきだろう。「さがひとり」の一言がそのことを過不足なく表現している。この句を引用している黒田杏子によれば、この俳句は「二十数年も前にNHKハイビジョンの番組で画面に大きく出た」もので、愛唱している女性が何人もいるという。寂聴は高齢にもかかわらず、今も幅広く精力的に活躍している人だが、杏子は昭和六十年以来、寂庵での「あんず句会」の第一回から選者・講師をつとめて親交を結んでいる。寂聴句のことを「その俳句も私俳句であり、世にいう文人俳句という分類にははまらない」と指摘している。寂聴句には他に「御山(おんやま)のひとりに深き花の闇」がある。黒田杏子『手紙歳時記』(2012)所載。(八木忠栄)


November 10112013

 経行の蹠冷たくて冬紅葉

                           瀬戸内寂聴

行(きんひん)は仏教語。座禅中、足の疲労をとるためや眠気をとるために、一定の場所を巡回・往復運動すること。(「日本語大辞典」より)。蹠(あうら)は皮膚のかたい足の裏。枕草子「冬はつとめて」を想起させる、凛とした情景です。たしかに、現在、冬でも温々した環境に身を置いている者にとって、冷え冷えする情景は、修行の場以外にはそうそうありません。「経行」(kinhin)が、かすかに音を立ててくり返されている様子を音標化していて、「蹠」(あうら)という語感には、冷たい床板にじかに接着する質感が伴っており、しかも字余りだから冷たさも余計に伝わってきます。ここまでの情景には、玄冬という語がふさわしい厳しさ寒さがありますが、それゆえに、冬紅葉の赤が鮮やかに目にしみます。かつて禁色だった赤も、冬紅葉であるならば修行の場で許され、むしろ、このうえない目の楽しみとしてあがめられているのではないでしょうか。古刹の冬の情景を、調べとともに映像的に、しかも、冷たさまでをも伝えています。『寂聴詩歌伝』(2013)所収。(小笠原高志)




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