文字通りの台風一過の青空がのぞめそう。本格的な秋の到来だ。(哲




2013ソスN9ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1792013

 高稲架やひとつ開けたるくぐり口

                           染谷秀雄

穂の波が刈り取られ、乾燥させるために稲架を組む。5段も組めば大人の身長はゆうに越え、規則正しく組まれた黄金の巨大な壁が出来あがる。一面の青田も、稲穂も、そして稲架もあまりに広大すぎると、まるでもとからそこにあったかのように景色に溶け込んでしまうが、高稲架にくぐり口を見つけた途端、ここを行き来する人の生活が飛び込んでくる。この広大なしろものが、すべて人の手によるものであったことに気づかされる。ひ弱な苗から立派な稲穂になるまでの長い日々が、そのくぐり口からどっと押し寄せてくる。苦労や奮闘の果ての人間の暮らしが、美しく懐かしい日本の風景として見る者の胸に迫る。〈月今宵赤子上手に坐りたる〉〈鳥籠に鳥居らず吊る豊の秋〉『灌流』(2013)所収。(土肥あき子)


September 1692013

 老人の暇おそろしや鷦鷯

                           矢島渚男

景としては、老人がのんびりとした風情で日向ぼこでもしている図だろう。付近では「鷦鷯(みそさざい)」が、小さな体に似合わぬ大きな声でなにやら啼きつづけている。静かな老人とは好対照だ。ここまではよいとして、では「暇おそろしや」とは何だろう。作者には、何がおそろしいのだろうか。作句時の作者は五十代。そろそろ老いを意識しはじめる年代だ。みずからの老いに思いがゆきはじめると、自然の成り行きで周辺の老人に目がとまるようになる。詳細に観察するわけでもないけれど、一見暇をもて余しているように見える老人が、実は案外そうでもないらしいとわかってくる。老人がたまさか見せる微細な表情の変化に、彼がときにはまったくの好々爺であったり、逆に憤怒の塊であったりと、さまざまな感情が渦巻いている存在であることに気づくのである。老人の動作はのろいけれど、神経は忙しく働いているのだ。そんな趣旨の詩を晩年の伊東信吉は書き残したが、若者には伺い知れない老人の胸のうちを、作者は「おそろしや」と詠んだのだと思う。その「おそろしさ」の根元にあるのは、むろん「明日は我が身」というこの世の定めである。冬の句だが、敬老の日にちなんで……。『船のやうに』(1994)所収。(清水哲男)


September 1592013

 秋の山一つ一つに夕哉

                           小林一茶

化二(1805)年、43歳の作。一茶が北信濃柏原に帰郷定着するのが文化九年、50歳で、その間、江戸・柏原往復を六回。双方に拠点を作ります。その後、三度結婚するのだから強い。掲句の秋の山は、旅の途上か郷里の山か。一日の終わりに、じっと佇んでいるとき、まだ色づき始めてはいない秋の山を、東から西へ、一つ、一つ夕(ゆふべ)の茜色に染めていく、その色合いの変化。それは、色彩が変化する様を、ダイナミックな日時計のように視覚化した情景です。一方、同じ文化二年に「木つつきや一つ所に日の暮るる」があり、夕(ゆふべ)の一茶は視点が動いていったのに対し、「日の暮るる」一茶の視点は、一つ所に目を遣っています。「木つつき」の音の向こうは、日暮れから闇へと移り変わっていく時の経過です。さらに、寛政年間、たぶん30歳頃の作、「夕日影町一ぱいのとんぼ哉」。村ではなくて町なので江戸でしょう。夕日を浴びて、赤とんぼは深紅です。夜は漆黒の闇であった時代、夕日、夕(ゆふべ)、日暮れの光と色は違っていたことを、一茶の目は伝えています。『一茶俳句集』(1958・岩波文庫)所収。(小笠原高志)




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