またまた嵐がやって来る。下手をするとまたまた本州上陸かも。(哲




2013ソスN9ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2592013

 いつ来るとなく集りし踊かな

                           三遊亭圓朝

ろいろな踊りがあるけれど、俳句で「踊り」といえば盆踊りのこと。盆踊りはもともと、盆に戻ってきた先祖の霊もまじって、人が一緒になって踊るというもの。踊り手が手拭や編み笠で顔を隠すようにして踊るのは、亡者を表わしている。夕刻から盆太鼓が打ち始められ、次第に踊り手が増えて輪ができていく。まさに「いつ来るとなく」、いつしか人が集まって踊りの輪が広がっていく。圓朝のことだから、そのなかに尋常ならざる者も、幾人かまじっているのかもしれない。私もその昔、見よう見真似で踊ったりしたものだった。さかんなときは二重三重の輪ができることもあった。仮装大会などもあると一段と盛りあがった。私の母は若い頃には、乳飲児の私を姑に預けて、踊りに夢中になったこともあった、とよく聞かされた。私が今住む町の公園で、町内会の祭りが十年以上つづけられている。独自な盆唄をもたないから、いまだにあの♪月が出た出た……の炭鉱節のCDをくり返し流しつづけている。踊るアホーより見るアホーのほうが多く、自治会が運営する露店のビールや焼そばが繁昌しているようだ。盆踊りも時代とともに様変わりしたり、ちっとも代わり映えしなかったり、さまざまである。圓朝には他に「其なりに踊り込みけり風呂戻り」の句がある。永井啓夫『三遊亭圓朝』(1962)所収。(八木忠栄)


September 2492013

 星の座の整つてくる虫しぐれ

                           前田攝子

月末、天文愛好家が「天体観測の宝庫」と賞賛するあぶくま高原に星を見に行った。昼の暑さはまだ夏のものだったが、山から闇がしみだしてくるような午後7時を回る頃には気温もすっかり下がり、長袖でなくては寒いほどだった。細やかな星のきらめきのなかで天の川に翼をかけたはくちょう座が天体から離れると、秋のくじら座が姿をあらわす。爽やかな空気のなかで、星たちは冴え冴えと輝きを増し、大きな部屋に描かれた天井絵を掛け替えるように、天体の図柄が変わる。秋の役者が揃ったところで、虫しぐれが地上でやんやの喝采をあげる。星座に虫の名を探してみるとひとつきり、それもハエ。なんとも残念なことだ。名前のない小さな星たちを集めて、秋の空にすずむし座やこおろぎ座を据えて、地上と天上の大合唱の間に身を置く空想を今夜は描いてみよう。〈舵取も荷積みも一人秋高し〉〈水に置きたき深秋の石ひとつ〉『晴好』(2013)所収。(土肥あき子)


September 2392013

 空港の夜長の足を組みなほす

                           坂本茉莉

港でのフライト待ち。その時間はまことに所在ない。予定時刻をだいぶ過ぎても飛ばなかったりすると、苛々感が募ってくる。そんな気持ちを表現した句だと単純に受け取ったが、あとがきを読んで、考えをあらためた。作者はタイ在住26年。「その間に仕事あるいは私用で、幾度日本とタイを往復したことでしょう。空港や飛行機は、私にとって単なる建物や乗り物以上の意味を持ち、ときに二つの文化を行き来する切り替えのための中継点であり、またあるときは日本にもタイにもなじめぬ心身を癒す休息場所でもあります」。つまり作者には、行楽などのために利用する空港というイメージはないわけで、「足を組みなほす」行為にも、たとえば考え事を組み立て直すきっかけ作りの意味があったりしそうである。これからも国際化時代は進行してゆく。伴って、空港のイメージも大きく変わってゆくのである。『滑走路』(2013)所収。(清水哲男)




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