巨人・辻内、阪神・林威助らに戦力外通告。さぴしい季節だ。(哲




2013N102句(前日までの二句を含む)

October 02102013

 コスモスと電話をかける女かな

                           古川ロッパ

スモス(秋桜)については説明するまでもなく、秋を代表する色さまざまな花である。その可憐さには誰もがホッとする。可憐でありながら、じつはなかなかしぶとく強い花で、風によって地になぎ倒されても、そこからまた伸びあがってくるのを見て、子どもの頃に舌を巻いたものだ。掲句の「コスモス」は電話の女の「モシモシ」が訛っているという、むしろ川柳。この場合の「コスモス」は季語とは言えまい。男爵の息子だったロッパは、なかなかのインテリ・コメディアンであった。逆にそこに悩みもあった。東京生まれだが、方言をよく学び、特に東北弁が独特のニュアンスを持っていて、可笑しかった。いまだに忘れがたい。「モシモシ」を「コスモス」と聴いて、オッフォンとほほえんでいる巨漢ロッパの風体が見えてくる。ロッパは「声色(こわいろ)」を「声帯模写」と新たに命名したことで知られるし、「イカす」も彼の発明。舞台・映画関係では「ロッパ」を名乗り、文筆では「緑波(りょくは/ロッパ)」と使い分けた。もう若い人には馴染みがないだろうが、往時エノケンとならび「喜劇王」と称された。私などの世代はラジオの連続ドラマ「さくらんぼ大将」や「アチャコ青春手帖」でロッパに親しんだ。厖大な『昭和日記』や『ロッパの悲食記』などはなかなか貴重な歴史的記録である。「読売新聞」(2013年8月16日)所載。(八木忠栄)


October 01102013

 誰にでも付いて行きたいゐのこづち

                           小寺篤子

のこづち(牛膝)はどこにでもよく見られる草で、茎が牛の膝に似たことからこの名が付いた。秋には小さな種子で覆われ、衣服や動物にところかまわず付着する。ゐのこづち、せんだんぐさ、おなもみ、の3種がくっつく選手権不動の上位と思われる。なにしろ、くっつくことを主にして進化を遂げた形態なのだ。誰かに付いていくことで勢力範囲を広げるというのは完全な他力本願である。しかし、個人的には迷惑でしかないこの強引な方法も、掲句のように「付いて行きたいのでこうなりました」と言われれば、なんとなく愛嬌も感じられる。いきあたりばったりが臨機応変と言い換えられるように、他力本願もまた「あなたを信じています」という一途な思いに変身し、ゐのこづちのひと粒ひと粒がけなげな姿に見えてくるから不思議である。『薔薇の風』(2013)所収。(土肥あき子)


September 3092013

 転ぶ子を巻く土ぼこり運動会

                           嘴 朋子

年のように、近所の小学校の運動会を見に行く。年々歳々、むろん児童たちは入れ替わっているのだが、競技種目は固定されているようなものなので、毎年同じ運動会に見えてしまう。ともすると、自分が子供だったそれと変わりない光景が繰り広げられる。転ぶ子がいるのも、毎度おなじみの光景である。掲句では「巻く土ぼこり」とあるから、かなり派手に転んでしまったのだろうか。しかし作者は可哀想にと思っているわけではない。転ぶ子が出るほどの子供らの一所懸命さに、拍手をおくっているのだ。いいなあ、この活気、この活発さ。昔住んでいた中野の小学校の運動場は、防塵対策のためにすべてコンクリートで覆われていたことを思い出した。運動会も見に行ったが、転んでも当然土ぼこりは立たない。転んだ子は、どこかをすりむいたりする羽目になりそうだから、見ていてひやひやさせられっぱなしであった。やはり、運動会は砂ぼこりが舞い上がるくらいがよい。『象の耳』(2012)所収。(清水哲男)




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