東京地方に蒸し暑さが戻ってくるようだ。蝉も鳴くのかな。(哲




2013ソスN10ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 03102013

 爪先から淋しくなりぬ大花野

                           山岸由佳

句を始める前までは「花野」といえば春だと思い込んでいた。春と秋では咲く花の種類も空気も違い、まったく異なった野の風景になる。尾花、萩、女郎花、撫子、吾亦紅、赤のまま、色鮮やかな春の花とは違い、色も姿も控え目で寂しさを感じさせる。花を輝かせる日ざしもうつろいやすく、花野の花を楽しんでいるうち、たちまちに夕刻になり心なしか風も寒く感じられる。爪先から感じる冷えがしんしんと身体に伝わってきて心細さが身体全体を包んでゆく。「花野」のはかなさが「淋しい」冷たさになって、読み手にも伝わってくるようだ。「風」(炎環新鋭叢書シリーズ6『風』)(2012)所載「海眠る」より。(三宅やよい)


October 02102013

 コスモスと電話をかける女かな

                           古川ロッパ

スモス(秋桜)については説明するまでもなく、秋を代表する色さまざまな花である。その可憐さには誰もがホッとする。可憐でありながら、じつはなかなかしぶとく強い花で、風によって地になぎ倒されても、そこからまた伸びあがってくるのを見て、子どもの頃に舌を巻いたものだ。掲句の「コスモス」は電話の女の「モシモシ」が訛っているという、むしろ川柳。この場合の「コスモス」は季語とは言えまい。男爵の息子だったロッパは、なかなかのインテリ・コメディアンであった。逆にそこに悩みもあった。東京生まれだが、方言をよく学び、特に東北弁が独特のニュアンスを持っていて、可笑しかった。いまだに忘れがたい。「モシモシ」を「コスモス」と聴いて、オッフォンとほほえんでいる巨漢ロッパの風体が見えてくる。ロッパは「声色(こわいろ)」を「声帯模写」と新たに命名したことで知られるし、「イカす」も彼の発明。舞台・映画関係では「ロッパ」を名乗り、文筆では「緑波(りょくは/ロッパ)」と使い分けた。もう若い人には馴染みがないだろうが、往時エノケンとならび「喜劇王」と称された。私などの世代はラジオの連続ドラマ「さくらんぼ大将」や「アチャコ青春手帖」でロッパに親しんだ。厖大な『昭和日記』や『ロッパの悲食記』などはなかなか貴重な歴史的記録である。「読売新聞」(2013年8月16日)所載。(八木忠栄)


October 01102013

 誰にでも付いて行きたいゐのこづち

                           小寺篤子

のこづち(牛膝)はどこにでもよく見られる草で、茎が牛の膝に似たことからこの名が付いた。秋には小さな種子で覆われ、衣服や動物にところかまわず付着する。ゐのこづち、せんだんぐさ、おなもみ、の3種がくっつく選手権不動の上位と思われる。なにしろ、くっつくことを主にして進化を遂げた形態なのだ。誰かに付いていくことで勢力範囲を広げるというのは完全な他力本願である。しかし、個人的には迷惑でしかないこの強引な方法も、掲句のように「付いて行きたいのでこうなりました」と言われれば、なんとなく愛嬌も感じられる。いきあたりばったりが臨機応変と言い換えられるように、他力本願もまた「あなたを信じています」という一途な思いに変身し、ゐのこづちのひと粒ひと粒がけなげな姿に見えてくるから不思議である。『薔薇の風』(2013)所収。(土肥あき子)




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