Appleが米国時間10月22日、イベントを開催する。何が出てくるか。(哲




2013ソスN10ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 22102013

 稲雀ざんぶと稲にもぐりけり

                           大島雄作

道で迷っても雀を見つけることができれば人里が近いのだと安心するという話しの通り、雀は昔から人間と生活をともにしてきた。実った稲を食べるための害鳥でありながら、害虫を捕食する益鳥でもあり、長らく共生関係を築いてきた。歌や民話にたびたび登場するのは身近な鳥であるとともに、その可愛らしい容姿によるところも大きい。実際の雀は人間に対して臆病で、用心深いというが、雀同士は相当のおしゃべりで遊び上手だ。欣喜雀躍という言葉がある通り、ちゅんちゅんと鳴きながら、飛び跳ねる姿はなんとも無邪気で楽しそうだ。掲句は一面の波打つ稲田に雀たちが賑やかに出入りしている。きっと稲穂を波頭に見立てた波乗りごっこが開催され、母雀に「遊びながら食べてはだめ」などと叱られているに違いないのだ。〈鷹柱いっぽん予約しておかむ〉〈ここからの山が正面更衣〉『春風』(2103)所収。(土肥あき子)


October 21102013

 貧しさの戦後の色よ紫蘇畑

                           鍵和田秞子

きごろ亡くなった漫画家のやなせたかしが、こんなことを書き残している。「内地に残っていた銃後の国民のほうがよほどつらい目を見ている。たとえ、戦火に逢わなかったとしても飢えに苦しんでいる」(「アンパンマンの遺書」)。掲句の作者は、敗戦当時十三歳。別の句に「黍畑戦中の飢え忘れ得ぬ」とあるように、戦後七十年近くを経ても、いまなお飢えの記憶は鮮明なのである。当時七歳でしかなかった私などでも、飢えの記憶はときおり恨み言のようによみがえってくる。この句のユニークさは、そんな飢えに代表される貧しさを、「色」で表現している点だろう。通りかかった一面の紫蘇畑を見て、ああこの色こそが「戦後の色」と言うにふさわしいと思えたのだった。紫蘇は赤紫蘇だ。焼け跡のいずこを眺めても、まず目に入ってくるのは瑞々しさを欠いた紫蘇の葉のような色だった。他にも目立つ「色」はなかったかと思い出してみたが、思い浮かばない。埃まみれの赤茶けた色。憎むべき、しかしどこにも憎しみをぶつけようのない乾いた死の色であった。「WEP俳句通信」(76号・2013年10月刊)所載。(清水哲男)


October 20102013

 樹も草も時雨地に呼ぶ峡の国

                           飯田龍太

の読みは、キョウ。山あいにはさまれた谷で、作者が住む山梨県、旧境川村です。山から谷の斜面にかけて、樹が草が、垂直を志向しながら生えていて、谷間に続いています。「時雨地に呼ぶ」とは何なのだろうかと考えております。何が呼ぶのか。ふつうに読めば、樹も草も時雨を地面に呼んでいる、でよいのでしょう。ただ、この句は、「峡の国」が地形としてダイナミックなので、地球規模の大きな構想で読んでみたいとも思います。樹の根も草の根も地球の中心を志向しており、時雨も同様、地球の引力に引き寄せられて落下しています。何が呼んでいるのか。それは、地球の中心、重力が呼んでいて、峡の国ではその垂直の力が視覚化されやすいのでしょう。「地」は重力と読みました。物質に質量を与えるヒックス粒子が報道されていて、全く理解できていないのですが、すこしばかり俳句の読みに影響しているかもしれません。『春の道』(1971)所収。(小笠原高志)




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