プロ野球ドラフト会議。どこも即戦力ねらいになりそうだな。(哲




2013ソスN10ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 24102013

 中也忌の透明傘の中の空

                           斉田 仁

明のビニール傘の中から空を見ているのは自分だろうか。「の」の助詞のたたみかけで読み手を透明傘の中まで引っ張ってゆく。中原中也は丸い帽子を被った写真が有名で中也と言えば教科書にあったその写真が思い出される。透明傘は丸い帽子の形状と連想が結びつくし、透明傘を透かして見る空に中也の詩にある叙情性を思う。哀しみを宿す人の心に直に語りかけてくるような中也の詩。掲句から「生い立ちの歌」の一節を思った。「私の上に降る雪はあられのやうに降りました/私の上に降る雪は雹であるかと思われた/私の上に降る雪はひどい吹雪とみえました」きっと彼は触れると飛び上がるほど鋭敏な感受性を持っていたのだろう。ことに幼い息子を失った中也の嘆きは何にも癒されることがなかった。息子を亡くした翌年死去。忌日は十月二十二日、墓は故郷の山口市にある。『異熟』(2013)所収。(三宅やよい)


October 23102013

 Now the swing is still:/a suspended tire/Centers the autumn moon.

                           ニコラス・ヴァージリオ

意→「ぶらんこは静止していて/つるされたタイヤの/まんなかに秋の月がある」(佐藤和夫訳)。作者はNicholas Virgilio(アメリカ。1928年生まれ)。掲句は『ザ・ハイク・アンソロジー』(ニューヨーク/1986)に収録されている。「つるされしタイヤのまんなか秋の月」とでも拙訳しておこうかーー。誰もが知っているブランコそのものではなく、ブランコの代用として吊るされているタイヤだろう、それが静止している。そのまんなかから丸い月が眺められる。静かな秋の夜である。ーーそんな情景としてとらえていいだろう。どこかの家の庭だろうか、小さな公園だろうか。日中は子どもたちが、乗っかったり揺さぶったりして遊ばれていたタイヤも、夜にはさすがに静止したままだ。作者はうってつけのように、そのタイヤのまんなかから月をうっとり眺めているのだろう。そのとき思わず「これは俳句になるぞ!」と思って作ったのかどうか。ニコラスは、ペンシルヴァニア大学で開催された第1回国際ハイク・フェスティバルの共同主催者だったという。各地で、今もさかんに国際的なハイク・フェスティバルが開催されている。佐藤和夫『俳句からHAIKUへ』(1987)所載。(八木忠栄)


October 22102013

 稲雀ざんぶと稲にもぐりけり

                           大島雄作

道で迷っても雀を見つけることができれば人里が近いのだと安心するという話しの通り、雀は昔から人間と生活をともにしてきた。実った稲を食べるための害鳥でありながら、害虫を捕食する益鳥でもあり、長らく共生関係を築いてきた。歌や民話にたびたび登場するのは身近な鳥であるとともに、その可愛らしい容姿によるところも大きい。実際の雀は人間に対して臆病で、用心深いというが、雀同士は相当のおしゃべりで遊び上手だ。欣喜雀躍という言葉がある通り、ちゅんちゅんと鳴きながら、飛び跳ねる姿はなんとも無邪気で楽しそうだ。掲句は一面の波打つ稲田に雀たちが賑やかに出入りしている。きっと稲穂を波頭に見立てた波乗りごっこが開催され、母雀に「遊びながら食べてはだめ」などと叱られているに違いないのだ。〈鷹柱いっぽん予約しておかむ〉〈ここからの山が正面更衣〉『春風』(2103)所収。(土肥あき子)




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