October 312013
木の葉髪鐡といふ字の美しき
玉田憲子
森鴎外の『羽鳥千尋』に自分の好きな漢字を列挙してゆくくだりがあった。「埃及」「梵語」「廃墟」等々。鏡花は豆腐の「腐」の字が許せなくて「豆府」と表記していたという。字の好き嫌いに関する逸話は多い。掲句の「鐡」は鉄であるが金を失うと意味がつくのでわざわざ作りを「矢」と変えて使用していたら子供が漢字を間違って覚えるからやめてくれとクレームが入ったそうだ。旧字体を社名にしているところもある。「木の葉髪」はパラパラと抜け落ちる毛を落葉に例えての季語。掲句では旧字体の「鐡」の緻密な字画と堅牢な質感と「木の葉髪」の語感の柔らかさと頼りなさとの絶妙な釣り合いが感じられる。両者を結び付けるものは「黒」であり、美しきという一言もそこから響いてくるように思う。『chalaza』(2013)所収。(三宅やよい)
December 122013
寒卵割つてもわつても祖母の貌
玉田憲子
レヴィナスは他者の顔と出会うことが自分の生を見いだす契機になると説く。自分の支配に取り込もうとしてもできない他者の顔、特にそのまなざしは不可侵であり根源的な問いかけを持って相手の目をじっと見返す。寒卵をいくつも、いくつも割る。滑り落ちた黄身に重なって祖母の顔が浮かび上がってくる。これはなかなか怖い。寒卵は、「寒中には時に栄養豊富で生で食べるのが良い」と歳時記にある。とすると、祖母は自分の顔を食べろと寒卵の中から現れるのか。祖母が向けるまなざしはどんな感情を含んでいるのだろう。寒卵を二つに割るたび浮かび上がる祖母の顔。思いもかけぬときに生々しく蘇ってくる肉親の顔は、寂しく、孤独で、生きているうちに伝えきれなかった思いを無言で問うてくるかのようだ。『chalaza』(2013)所収。(三宅やよい)
May 032014
暖かき雨の降りをり鍋に穴
玉田憲子
昔のアルミの鍋は使っているうちに小さな穴が開いてしまうことがあった。吹きこぼれてもいないのにジュージュー音がするので、おかしいなと鍋を洗って透かして見ると光が漏れている。しばらくその光を見つめつつ、少し情けなくもありながら、この鍋もよく使ったなあと感慨深かったりしたものだ。雨が降っているというかすかな憂鬱、でもそれが春の雨であるという明るさ、その両方をつなぐ小さな鍋の穴である。なべにあな、とつぶやくとなんとなく微笑んでしまう。気がつけば我が家の台所にはもう古いアルミ鍋はなく、穴をあけるなんてとても無理という厚底鍋ばかりになってしまったが。『chalaza』(2013)所収。(今井肖子)
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