2013N11句

November 01112013

 下るにはまだ早ければ秋の山

                           波多野爽波

気澄む秋の山。登ってから、しばらく時が過ぎたけれども、まだ下るには早い。もう少し、時を過ごしていよう。言葉としては描かれていないけれども、この秋の山、紅葉が見事なのかもしれない。いずれにせよ、心の中を過ぎった秋の山への親しみの思い。表現は簡明であるけれども、心に残る。これが、他の季節ならば、この情感は出てこない。「秋の山」ならではの一句。『鋪道の花』(1956)所収。(中岡毅雄)


November 02112013

 秋燈のひたひた満ちてゐる畳

                           西原天気

在の我が家のリビングの床は六十センチ四方のタイルが敷き詰められていて、汚れたら思いきり水拭きできて楽だけれど、照明が床に反射していつも明るい。思えば畳は、四季折々の光がしみこんだり流れたり明暗の表情を持ち、夜の灯はゆっくり部屋を包んでいった。ことに秋も深まってくると色濃い秋日に濡れ、やがてうすうす寒くなりつつ暮れた部屋が灯されると、そのあかりは静かに夜長の時を満たしてゆく。数えてみると、三年前に建て替えた現在の家が、仮住まいも含めるとちょうど十軒目の住まいとなるが、畳の部屋が無いのは初めてだったなと、今さらながらやや淋しい。『けむり』(2011)所収。(今井肖子)


November 03112013

 石榴喰ふ女かしこうほどきけり

                           炭 太祇

榴(ざくろ)はペルシャ原産で、平安時代に伝わっています。鬼子母神の座像は、右手に吉祥果(ざくろ)を持っています。仏説では、千人の子を持つ鬼女・鬼子母神が、他人の赤子を喰らうのを戒める代わりに石榴を与え、以後、改悛して子育ての神となったということです。なお、鬼子母神のルーツは、ギリシャの女神・テュケであることを数年前の「アレクサンドロス展」で知りました。ギリシャ・マケドニアの大王がペルシャを通過して、東征したときに付随して伝わった物や事柄は多く、石榴もまた、そのように日本に流れついた一つなのかもしれません。炭太祇(1771没)はご存知、京都・島原廓内の不夜庵住まい。掲句は、遊女の客が持参した石榴なのか、赤く小さな実を一粒ずつけなげにほぐしている様子です。指と唇がかすかに赤く染まった遊女は、鬼子母神の石榴の由来を知りません。一心に石榴を喰う女と、それを見ている作者。無邪気な中に、無惨さもあり、しかし、眼差しには慈しみがあるでしょう。『近世俳句俳文集』(1963)所載。(小笠原高志)


November 04112013

 図画といふ時間割あり鰯雲

                           赤坂恒子

の時代には「図画工作」という時間割だったような気がする。それはともかく、晴れた日の「図画」の時間は楽しみだった。たいていは好きな場所で好きなものを描けばよいという写生の時間だったから、暗い教室から解き放たれた私たちには、小さな遠足みたいな自由な雰囲気を満喫できるのだった。図画の得意な少数の子らを除いては、写生なんぞははなから眼中にはない。私なんぞは、まずゆっくりと坐るための場所を確保してから、おもむろに顔をあげて、視野の前方に入ってきたもののなかから描く対象物を決める始末であった。空は青空、いい天気。田畑での手伝いをしなくてもよい上天気が、いかに私たちを喜ばせたか。この句を読んで、そんな昔を懐かしく思い出した。クラスでいちばん絵の上手かった久保君は中卒で念願の大工になったが、三十代の若さで亡くなってしまった。よく見れば、鰯雲は寂しい雲だ。『トロンポ・ルイユ』(2013)所収。(清水哲男)


November 05112013

 眼帯の中の目ぬくし黄落期

                           角谷昌子

謝野晶子が「金色の小さき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に」と詠んだように、銀杏を代表する鮮やかな黄色の落葉は、見慣れた場所を忘れさせるような美しさがある。まだ青みが残る頭上の空、赤く染まる地平線、そして舞い散る金色の落葉。まるでクリムトの世界に閉じ込められたような色づかいである。一方、掲句は一面の黄落のなかにいて、光りを遮断し刺激から守られた眼帯の奥にぬくみを感じる。そのあたたかさは眼帯のやわらかな布に守られたしずかに閉じたまなこの存在に行き当たる。この豪奢に舞い落ちる幾百枚の黄金の葉のなか、かくも穏やかなまなこをわが身が蔵していることの不思議を思うのである。『地下水脈』(2013)所収。(土肥あき子)


November 06112013

 モカ飲んでしぐれの舗道別れけり

                           丸山 薫

ごろの時季にサッと降ってサッとあがる雨が「しぐれ(時雨)」である。「小夜時雨」「月時雨」「山めぐり」他、歳時記には多くの傍題が載っている。それだけ日本人にとって身近な天候であり、親しまれている季語であるということ。しぐれは古書にもあるように「いかにももの寂しく曇りがちにして、軒にも雫の絶えぬ体……」(『滑稽雑談』)といった風情が、俳句ではひろく好まれるようで、数多く詠まれている。丸山薫には俳句は少ないようだが、「モカ」にはじまって「しぐれ」「舗道」とくるあたり、どこかロマンを感じさせる道具立てである。詠まれている通り、何やら長時間モカコーヒーを飲みながら話しこみ、しぐれで濡れている舗道で淋しく別れたのである。若い男女であろう。題材も詠み方もとりたてて変哲がある句とは言えないけれど、これはこれでさらりと詠まれていてよろしいではないか。「モカ」というと、どうしても寺山修司の歌「ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし」を避けて通れない。芥川龍之介の句に「柚落ちて明るき土や夕時雨」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


November 07112013

 剃刀の刃が落ちて浮く冬の水

                           田川飛旅子

い剃刀の替刃が冬の水に浮いている。ただそれだけの様子なのだが心に残る。剃刀が落ちて浮くのは「春の水」でも「秋水」や「夏の河」ではなく「冬の水」というのがこの句の眼目なのだろう。「冬の水一枝の影も欺かず」と草田男の有名な句があるが、冬の水は澄んではいるが動きが少なく、水自体は重たい印象だ。掲句では剃刀の刃の鋭さがそのまま冬の空気の冷たさを感じさせる。そして、浮いている剃刀の単なる描写ではなく「落ちて浮く」とした動きの表現で冬の水の鈍重さも同時に伝える、相反する要素を水に浮く剃刀に集中させて詠み、蕭条とした冬そのものを具体化している。『田川飛旅子選句集』(2013)所収。(三宅やよい)


November 08112013

 草紅葉縁側のすぐざらざらに

                           波多野爽波

側は、こまめに掃除せず放っておくと、頻繁に上がってくる人のこぼした砂や土埃で、すぐ、汚れてしまう。そのさまを、「ざらざらに」という触覚性リアルな言葉で表現した。日常の光景から、実存の深みまで感じさせてしまうのが、爽波俳句の特色である。荒涼とした手触りの世界の外界には、色づいた秋の草が生々しいまでに、その色彩を訴えかけてくる。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)


November 09112013

 白湯一椀しみじみと冬来たりけり

                           草間時彦

起きて水を一杯飲むと良い、という話をしていたら、お湯の方がいいですよ、と言われた。その人は夏は常温、冬でもほどほどに温かいものしか口にしないのだと言う。え、冷たい麦酒は、と思わず聞くと、麦酒の味は好きなんですよ、でも冷やしません、麦酒によっては美味しいんですよ・・・ちょっと調べるとそれは本当だった。さらに、白湯健康法なるものもにも行き当たる。50℃位の白湯を少しずつ啜るのが良いという。掲出句、まさにお椀を両てのひらで包んで、ゆっくりと啜りながら味わっている風情。もちろん、今の私のようにちょこちょこ検索しては生半可な知識を得ているのではなく、体がすこし熱めの白湯を欲してその甘さに、しみじみ冬の到来を実感しているのだ。八冊の句集から三七九句を収めた句集『池畔』(2003)の最後のページには〈年よりが白湯を所望やお元日〉の一句もある。(今井肖子)


November 10112013

 経行の蹠冷たくて冬紅葉

                           瀬戸内寂聴

行(きんひん)は仏教語。座禅中、足の疲労をとるためや眠気をとるために、一定の場所を巡回・往復運動すること。(「日本語大辞典」より)。蹠(あうら)は皮膚のかたい足の裏。枕草子「冬はつとめて」を想起させる、凛とした情景です。たしかに、現在、冬でも温々した環境に身を置いている者にとって、冷え冷えする情景は、修行の場以外にはそうそうありません。「経行」(kinhin)が、かすかに音を立ててくり返されている様子を音標化していて、「蹠」(あうら)という語感には、冷たい床板にじかに接着する質感が伴っており、しかも字余りだから冷たさも余計に伝わってきます。ここまでの情景には、玄冬という語がふさわしい厳しさ寒さがありますが、それゆえに、冬紅葉の赤が鮮やかに目にしみます。かつて禁色だった赤も、冬紅葉であるならば修行の場で許され、むしろ、このうえない目の楽しみとしてあがめられているのではないでしょうか。古刹の冬の情景を、調べとともに映像的に、しかも、冷たさまでをも伝えています。『寂聴詩歌伝』(2013)所収。(小笠原高志)


November 11112013

 大部分宇宙暗黒石蕗の花

                           矢島渚男

蕗の花は、よく日本旅館の庭の片隅などに咲いている。黄色い花だが、春の花々の黄色とは違って、沸き立つような色ではない。ひっそりとしたたたずまいで、見方によっては陰気な印象を覚える花だ。それでも旅館に植えられているのは、冬に咲くからだろう。この季節には他にこれというめぼしい花もないので、せめてもの「にぎやかし」にといった配慮が感じられる。そんな花だけれど、それは地球上のほんの欠片のような日本の、そのまた小さな庭などという狭い場所で眺めるからなのであって、大部分が暗黒世界である宇宙的視座からすれば、おのずから石蕗の花の評価も変わってくるはずだ。この句は、そういうことを言っているのだと思う。大暗黒の片隅の片隅に、ほのかに見えるか見えないかくらいの微小で地味な黄色い花も、とてもけなげに咲いているという印象に変化してくるだろう。『延年』(2002)所収。(清水哲男)


November 12112013

 合はす手の小さくずれて七五三

                           今瀬一博

年の七五三は11月15日だが、休日の都合もあり前後二週間ほど、要は11月中を目安に各地のお宮は賑わうようだ。「七つ前は神のうち」といわれ、なんとか七歳まで無事でいてくれれば、ようやくひと安心とされた時代の行事であるが、今も子どもの成長を祝う節目となって続いている。七歳までの通過儀礼として女児が三歳、男児が五歳の祝いをするが、掲句の柏手も覚束ない姿はもっとも幼い三歳を思う。言われるがまま合わせる手のわずかにずれている様子さえ、ほほえましく、その成長が胸に迫る。とはいえ、大人たちの熱い視線をよそに、当人にとってはなにがなにやら分からぬままに、着飾り連れ回されているように思っていることだろう。自分の三歳のときはどうであったかと振り返ると当然覚えているはずはないが、アルバムにはっきりと残されている。振り袖のまま近所の公園のぶらんこに乗って、母親が慌てて駆け寄る姿である。『誤差』(2013)所収。(土肥あき子)


November 13112013

 この子らに未来はありや七五三

                           清水 昶

五三に限らないけれど、着飾ってうれしそうな子どもたちを見るにつけ、昶ならずとも「未来はあるか」という懸念が、身うちでモグモグしてしまうことが近年増えてきた。こちらがトシとって、未来の時間がどんどん減ってきていることと、おそらく関係しているのだと思う。それにしても、先行き想定しようのない嫌ァーな時代が仄見えている気がする。私などが子どもの頃、わが田舎では「七五三」といった結構な祝いの風習などなかった。いわんや「ハッピーバースデイ」なるものだって。だから、わが子の「七五三」や「ハッピーバースデイ」などといった祝い事では、むしろこちとら親のほうが何やら妙に照れくさかったし、落着かなかった。子どもに恵まれなかった昶の句として読むと、また深い感慨を覚えてしまう。もちろん「この子ら」の未来だけでなく、自分たち親の未来や人類の未来への思いを、昶は重ねていたはずである。掲句は、サイト「俳句航海日誌」の2010年11月15日に発表されている。亡くなる半年前のことである。亡くなる一週間前の句は「五月雨て昏れてゆくのか我が祖国」である。「子らの未来」や「我が祖国」などが、最後まで昶の頭を去ることはなかったかもしれない。『俳句航海日誌』(2013)所収。(八木忠栄)


November 14112013

 壺割れてその内景の枯野原

                           東金夢明

くら上から覗き込んでも口がつぼまった壺の内側を見るのは難しい。割れて初めて薄暗い壺の内側に光があたり、そこに描かれた景色が広がるとは極めて逆説的だ。なだらかな球形であるべき壺の内側が破壊されたことで一枚の枯野原となる、低く垂れこめた空の下、モノトーンの寂しい景色がどこまでも続く。様々な想像を呼び寄せる句だ。こうした句に出会うと日常、見過ごしている物にさまざまに異なる世界が被さっていることに気づかされる。ふとした瞬間に異次元の世界への扉が開く、そうした世界によく分け入る人は、俳句の言葉で別の世界の入り口を探し当てられる人なのだろう。『月下樹』(2013)所収。(三宅やよい)


November 15112013

 暗幕にぶら下がりゐるばつたかな

                           波多野爽波

っ黒な暗幕に、緑色の螇蚸がぶら下がっている。その一点の景がクローズアップされている。この螇蚸、決して、愛らしいモノとして描かれているのではない。むしろ、無韻の中、不気味な心象風景として表現されている。暗幕というモノと螇蚸というモノ。それぞれが、単独で描かれれば、別に、何ということはない。しかし、暗幕というシチュエーションのもと、そこに見出された一匹の螇蚸は、強烈な違和感を読者にもたらす。その違和感が、モノの実在感・存在感をありありと感じさせる。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)


November 16112013

 花束の冷たさを抱き夜のバス

                           川里 隆

られた大きなその花束は美しくラッピングされていて、抱えた腕にずっしりと重い。バスにはほとんど乗客はいなくて、ぼんやり車窓に目をやりながら揺られているのだろう。さっきまで送別会の主役だったのか、などともの寂しい方へ気持ちがゆくのは、冷たし、の持つ心情的な印象からか。そういえば、結婚が決まってささやかな式をあげることになった時、それまで何も口出しをしなかった父が、花束贈呈は止められないか、と言ったのを思い出した。結局諸事情があって止められなかったのだが、式の後の二次会で私の教え子に囲まれて楽しそうにしている父を見てどこかほっとしたのだった、三十年前の話。花束の冷たさは、通っている水の冷たさであると同時に、それを抱えている作者の心持ちでもあるのだろう。『薔薇の首』(2013)所収。(今井肖子)


November 17112013

 不機嫌の二つ割つたる寒卵

                           鈴木真砂女

生きしている人は、ストレスの出し方も粋である。96歳まで生きた銀座卯波の女将・真砂女は、やたら自慢する客に、不機嫌になっている。(作法の知らない客だこと。小さな店なんだから、ほかのお客さんの邪魔にならないように話してよ。そんな飲み方ならちがう店に行って頂戴。)こう心の中でつぶやくやいなや、件の客は、「おかみ、卵焼き」と注文してきたから、これ見よがしに不機嫌な気持ちを込めて卵を立て続けに二つ割る。この無言のふるまいが不粋な客に届いたかどうかは定かではない。ただし、常連客には卵を溶く音とともにしっかり聞こえていた。(これから絶品の卵焼きをあんたの口の中に入れてあげるから、黙って食べなさい)。『鈴木真砂女全句集』(2010)所収。(小笠原高志)


November 18112013

 かつてラララ科学の子たり青写真

                           小川軽舟

ずは「青写真」の定義を、Wikipediaから。「青写真(あおじゃしん、英: cyanotype)は、サイアノタイプ、日光写真ともいい、鉄塩の化学反応を利用した写真・複写技法で、光の明暗が青色の濃淡として写るためこう呼ばれる」。句では「日光写真」を指している。小春日和の午後などに「ラララ科学の子」である鉄腕アトムの種紙で遊んだ子どもの頃の回想だ。当時はそうした遊びに熱中していた自分を立派な「科学の子」だと思っていた。が、日光写真はたしかに科学的な現象を応用した遊びではあったけれども、その遊びを開発したわけじゃなし、とても「科学の子」であったとは言えないなと、微苦笑している図だろう。本格的な青写真はよく建築の設計図に利用されたから、敷延して「人生の青写真」などとも言われる。この句には、そんな意味合いもうっすらと籠められているのだと思う。往時茫々。『呼鈴』(2012)所収。(清水哲男)


November 19112013

 冬紅葉海の夕日の差すところ

                           本宮哲郎

上の冬紅葉と海に差し込む夕日までには大きな距離があり、そこを波濤がつないでいる。太陽が海に沈む景色は日本海のものであるから、おそらく荒々しい波だろう。それでこそ、冬紅葉の赤さが一層切なく、痛々しく映えるのだ。と、頭では分かっていても、どうも想像が追いつかない。太平洋側で生まれ育った身では太陽は海からのぼり、山へと沈むものだった。当初、夕日が赤々と染める海面の部位を紅葉と直喩されているのかと思った。おそらく穏やかな太平洋側の思考がそう思わせたのだ。きりきりと冷たい冬の日本海を実際に見たいと思いながら、寒さ嫌いゆえ今日まで体験していない。掲句のような寒さゆえに存在する美しさがほかにもたくさんあり、どれも見逃しているのだと思うと心から惜しい。重い腰をあげて今年こそ出かけてみようと思うのだ。『鯰』(2013)所収。(土肥あき子)


November 20112013

 ひれ酒や愚痴が自慢にかわるとき

                           岡田芳べえ

さが一段と厳しくなってきた。酒場では「アツカンもう一本!」といった注文が聞かれる時季。しかし、ほんとうは上等な酒は「ヌルカン」で飲むのがおいしいーーと私は信じて実行している。でも、酒場での「アツカン!」の声はいかにも寒さが吹っ飛ぶようで、場が盛りあがる。アツカンを飲むならば、ひれ酒の熱いやつをじっくりぐびりとやりたくなる。あぶったフグのひれのあの香ばしさ。誰がこんなおいしい飲み方を発明してくれたか!と飲むたびに、感謝の気持ちがわいてくる。気のおけない仲間と居酒屋でひれ酒をじっくりやりながら、口をついて出てくるのは景気のいい話題よりも、やっぱり愚痴が多いか。人によっては酔うほどに、いつの間にかそれが自慢話に変わっている、なんてことがある。自慢話はご免蒙りたいけれど、そういう手合いが結構いるんだなあ。「あいつのクセが始まった…」と持てあましながらも、知った仲間であればそれも愛嬌かもしれない。「俳句は自分の句を後になって読み返す楽しみがいちばん大きい。人さまの句はいくらいい句でもそれ以上のものではない」と芳べえは正直に記す。一理あるかもしれない。他に「かくれんぼだれも見つけに来ぬ師走」がある。「毬音」3号(2011)所収。(八木忠栄)


November 21112013

 休日出勤冬木の枝の燦々と

                           押野 裕

さっては勤労感謝の日。「勤労を尊び感謝する日」が土曜日と重なっているけど、休日出勤の方もいるかもしれない。皆がのんびりしている休日に電車に乗るといつもは混んでいる時間帯も座れるぐらいすいている。向かいの窓からは冬木の梢が凛と輝いて見える。「休日出勤」と言っても平日に代休がある出勤と普段の仕事が片付かないで休日に出てやるのを余儀なくされるのではだいぶ事情が違う。後者の場合は、下手をすると休みなしで連続して仕事をしないといけないわけで、冬木の枝が輝くのを見ている心持も嬉しいとは言えないだろう。そう思うと「燦々」と輝く冬木と鬱屈した気持ちとの対比がより際立ってくるように思う。『雲の座』(2011)所収。(三宅やよい)


November 22112013

 リボンの娘手つなぎくるや崩れ簗

                           波多野爽波

ボンを結んだ娘が二人、手を繋ぎながらやってくる。どのような場所へ出てくるのかと思いきや、「崩れ簗(やな)」である。崩れ梁は、晩秋、漁期が過ぎて放置され、崩れ壊れた簗のこと。上五中七から「崩れ梁」への転換は、単に意外という領域を越えている。「春泥に押しあひながら来る娘 高野素十」という明るい句と比較してみても分かるが、下五「崩れ梁」の季語は、リボンの娘のイメージを崩れさせ、荒涼とした世界へと読み手を誘う。その詩的飛躍は、嗜虐趣味に近い気がする。『一筆』(1990)所収。(中岡毅雄)


November 23112013

 旅に出て忘れ勤労感謝の日

                           鷹羽狩行

書や歳時記には、新嘗祭を起源とするとあるが、他のいくつかの国民の祝日同様、その意義を考えることが少なくなってしまった勤労感謝の日である。俳句にするには正直、音が多くなかなか難しく、何もしないでゆっくり過ごす、といった詠み方をよく見かけるが掲出句は、忘れ、といっている。紅葉もいよいよ美しくまさに旅に出るにはよい季節だが、勤労感謝の日であることを忘れていた、というより、どこか釈然としない、現在の国民の祝日のあり方に対する皮肉のようにも感じられる。『合本俳句歳時記第四版』(角川学芸出版)所載。(今井肖子)


November 24112013

 葱畑蟹のはさみの落ちてゐる

                           辻 桃子

で出会う驚きが、そのまま句になっています。葱畑に蟹のはさみが落ちている。なんの解釈の必要もない事実です。ただし、この実景に出会うためには気持ちを広く、同時に、敏感なセンサーを働かせる意識が必要です。句集には、掲句より前に「三国寒しトラちゃんといふ食堂も」があり、これも、旅人が立ち止まり、シャッターを押したような嘱目です。また、掲句より後に「とけるまで霰のかたちしてをりぬ」があり、しばらく霰(あられ)を見つめる目は童子の瞳です。ほかに、「九頭龍川」を詠んだ句もあり、越前・福井の冬の旅であることがわかりました。なるほど農家は、食べた後の越前ガニのはさみを畑の肥料にしているのだな。これは日常的な生活の知恵であり、しかし、旅人の目には、思いもよらないシュールレアリズムの絵画のような驚きを催しました。たしかに、葱と蟹のはさみは緑と赤の補色関係で配色されていて、かつ、立体的なモチーフです。土地と季節と生活者と旅人のコラボの句。『ゑのころ』(1997)所収。(小笠原高志)


November 25112013

 県道に俺のふとんが捨ててある

                           西原天気

あ、えらいこっちゃ。だれや、こんな広い路のど真ん中に、俺のふとんをほかしよったんは。なんでや。どないしてくれるんや……。むろん情景は夢の中のそれだろう。しかし夢だからといって、事態に反応する心は覚醒時と変わりはない。むらむらと腹が立ってくる。しかし、こういう事態に立ち至ると、「どないしてくれるんや」と怒鳴りたくなる一方で、気持ちは一挙にみじめさに転落しがちである。立腹の心はすぐに萎えて、恥辱の念に身が縮みそうになる。この場から逃げだしたくなる。ふとんに限らず、ふだん自分が使用している生活用具などがこういう目にあうと、つまり公衆の面前に晒されると、勝手に恥ずかしくなってしまうということが起きる。手袋やマフラーくらいなら、経験者は多数いるだろう。人に見られて恥ずかしいものではないのに、当人だけがひとりで恥に落ち込んでいく。何故だろうか。この句を読んで、そんな人心の不思議な揺れのメカニズムに、思いが至ったのだった。それにしても「ふとん」とはねえ。『けむり』(2011)所収。(清水哲男)


November 26112013

 茶の花や家族写真の端は母

                           齋藤朝比古

族写真では家族の誰かがタイマーで撮影する。撮影者を除いた家族は一列に並び、母は遠慮がちに端に位置する。撮影者はタイマーをセットしたのち、列の端に加わるのが最適だと考える。が、しかし、母たるものの思考はそうではない。戻ってきた撮影者に対して「さぁさぁあなたが真ん中に。ほらここに入りなさい」と身をゆずり、「お母さんもうそんなこといいから」といった押し問答の間に、無情にもシャッターはおりてしまう。今のような撮影状態が常時確認できるデジタルカメラではない時代、失敗した写真のどれもが現像されることとなり、思いがけないやりとりが目の当たりになることもある。茶の花もまた、目の位置にどんと咲くような花ではない。花ならばもっと真ん中に咲けばいいのに、と思う心が在りし日の母の姿に重なってゆく。『累日』(2013)所収。(土肥あき子)


November 27112013

 サンルーム花と光のさざめける

                           神保光太郎

句としてすぐれた出来ではないと思うけれど、詩人・神保光太郎の俳句は珍しい。しかも「サンルーム」を季語にした俳句を、私はこれまであまり見かけていない。サンルームと言わないまでも、寒気が強くなるとともに暖かい陽ざしが恋しくなってくる。そんな今日この頃。暑いときはあんなに日陰を選んで歩いていたのに、今は逆に誰しも日当りを求めて歩きたい。サンルームのなかでは、日ざしによって汗ばむほどになる。掲句の「花」はいったい何という花だろうか? シクラメンだろうか……季節の花なら何であってもかまわない。花と光があふれさざめいて、冬にはとても快適なスペースである。光太郎は若いときは短歌も作った。のち「日本浪漫派」の同人として活躍し、堀辰雄らの第二次「四季」にも参加した。今は光太郎をよく知らない人が増えているかもしれない。じつは私は大学時代に、神保教授のドイツ語の授業を受けたことがある。たいていベレー帽をかぶり、笑いを絶やさない先生だった。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


November 28112013

 巻貝の渦ゆきわたる冬銀河

                           花谷和子

気が冴えてくると星の輝きにも寒々とした光が宿る。巻貝の渦とは螺旋状に巻く殻の形状を表しているのだろう。銀河系の星の渦を巻貝の殻のかたちと重ね合わせたことで、海辺に生息する巻貝から数知れぬ星々を巻く銀河系宇宙とへと想像が広がっていく。まさに極小の詩形である俳句が極大なものを表現することができる見本のような句だ。巻貝の殻を「渦」と捉えたところに冬銀河との隠喩が生まれるのだが、その類似をつなぐのに「ゆきわたる」という言葉を配したことがこの句に宇宙へと広がる躍動感を与えているように思う。『歌時計』(2013)所収。(三宅やよい)


November 29112013

 ぼんやりと晩秋蚕に燈しあり

                           波多野爽波

は、本来、春季であるが、晩夏から晩秋にかけて飼育されるものを「秋蚕」という。春と比べて、飼育日数も少ないが、繭の品質は劣るという。晩秋の蚕がぼんやりと照らされている。おそらく、裸電球であろう。照らされている蚕は、ただ、ひたすら桑の葉を食べているが、それを見つめている作者の意識は、朦朧と揺らぐような感覚の中へ誘われる。波多野爽波は、俳句において『農』のくらしを詠むことの重要性を、しばしば説いた。しかしながら、この句には、農のくらしへの親和感は微塵もうかがえない。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)


November 30112013

 嬰のまはりはことばの華よ冬満月

                           熊谷愛子

には、やや、とふられている。泣き声と話し声、生まれたばかりの赤子を包む幸せがまず音として感じられ、それから風景となって見えてくる。花を思わせる、嬰、の文字と、華、が呼応しているところに、冬満月の円かでありながら冴え冴えとした光が加わって余韻を生む。二人の子を持つ友人がだいぶ離れた三人目を授かった時、二人でいいかなって思っていたのだけど、赤ちゃんを囲んでいる時の家族がなんだかなつかしくなったの、と言っていたのを思い出す。生まれたての命は無条件に幸せをもたらしてくれるのだろう。前出の友人の末娘も大学生、甘やかされているはずが二人の兄より強く逞しく、ずっと母を幸せにしている。『旋風』(1997)所収。(今井肖子)




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