亜細亜の東日出づる処聖の君の現れまして…。明治節の歌だつた。(哲




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November 03112013

 石榴喰ふ女かしこうほどきけり

                           炭 太祇

榴(ざくろ)はペルシャ原産で、平安時代に伝わっています。鬼子母神の座像は、右手に吉祥果(ざくろ)を持っています。仏説では、千人の子を持つ鬼女・鬼子母神が、他人の赤子を喰らうのを戒める代わりに石榴を与え、以後、改悛して子育ての神となったということです。なお、鬼子母神のルーツは、ギリシャの女神・テュケであることを数年前の「アレクサンドロス展」で知りました。ギリシャ・マケドニアの大王がペルシャを通過して、東征したときに付随して伝わった物や事柄は多く、石榴もまた、そのように日本に流れついた一つなのかもしれません。炭太祇(1771没)はご存知、京都・島原廓内の不夜庵住まい。掲句は、遊女の客が持参した石榴なのか、赤く小さな実を一粒ずつけなげにほぐしている様子です。指と唇がかすかに赤く染まった遊女は、鬼子母神の石榴の由来を知りません。一心に石榴を喰う女と、それを見ている作者。無邪気な中に、無惨さもあり、しかし、眼差しには慈しみがあるでしょう。『近世俳句俳文集』(1963)所載。(小笠原高志)


November 02112013

 秋燈のひたひた満ちてゐる畳

                           西原天気

在の我が家のリビングの床は六十センチ四方のタイルが敷き詰められていて、汚れたら思いきり水拭きできて楽だけれど、照明が床に反射していつも明るい。思えば畳は、四季折々の光がしみこんだり流れたり明暗の表情を持ち、夜の灯はゆっくり部屋を包んでいった。ことに秋も深まってくると色濃い秋日に濡れ、やがてうすうす寒くなりつつ暮れた部屋が灯されると、そのあかりは静かに夜長の時を満たしてゆく。数えてみると、三年前に建て替えた現在の家が、仮住まいも含めるとちょうど十軒目の住まいとなるが、畳の部屋が無いのは初めてだったなと、今さらながらやや淋しい。『けむり』(2011)所収。(今井肖子)


November 01112013

 下るにはまだ早ければ秋の山

                           波多野爽波

気澄む秋の山。登ってから、しばらく時が過ぎたけれども、まだ下るには早い。もう少し、時を過ごしていよう。言葉としては描かれていないけれども、この秋の山、紅葉が見事なのかもしれない。いずれにせよ、心の中を過ぎった秋の山への親しみの思い。表現は簡明であるけれども、心に残る。これが、他の季節ならば、この情感は出てこない。「秋の山」ならではの一句。『鋪道の花』(1956)所収。(中岡毅雄)




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