野球の季節が終わった。来年の春まで夜の時間をどう過ごそうか。(哲




2013ソスN11ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 04112013

 図画といふ時間割あり鰯雲

                           赤坂恒子

の時代には「図画工作」という時間割だったような気がする。それはともかく、晴れた日の「図画」の時間は楽しみだった。たいていは好きな場所で好きなものを描けばよいという写生の時間だったから、暗い教室から解き放たれた私たちには、小さな遠足みたいな自由な雰囲気を満喫できるのだった。図画の得意な少数の子らを除いては、写生なんぞははなから眼中にはない。私なんぞは、まずゆっくりと坐るための場所を確保してから、おもむろに顔をあげて、視野の前方に入ってきたもののなかから描く対象物を決める始末であった。空は青空、いい天気。田畑での手伝いをしなくてもよい上天気が、いかに私たちを喜ばせたか。この句を読んで、そんな昔を懐かしく思い出した。クラスでいちばん絵の上手かった久保君は中卒で念願の大工になったが、三十代の若さで亡くなってしまった。よく見れば、鰯雲は寂しい雲だ。『トロンポ・ルイユ』(2013)所収。(清水哲男)


November 03112013

 石榴喰ふ女かしこうほどきけり

                           炭 太祇

榴(ざくろ)はペルシャ原産で、平安時代に伝わっています。鬼子母神の座像は、右手に吉祥果(ざくろ)を持っています。仏説では、千人の子を持つ鬼女・鬼子母神が、他人の赤子を喰らうのを戒める代わりに石榴を与え、以後、改悛して子育ての神となったということです。なお、鬼子母神のルーツは、ギリシャの女神・テュケであることを数年前の「アレクサンドロス展」で知りました。ギリシャ・マケドニアの大王がペルシャを通過して、東征したときに付随して伝わった物や事柄は多く、石榴もまた、そのように日本に流れついた一つなのかもしれません。炭太祇(1771没)はご存知、京都・島原廓内の不夜庵住まい。掲句は、遊女の客が持参した石榴なのか、赤く小さな実を一粒ずつけなげにほぐしている様子です。指と唇がかすかに赤く染まった遊女は、鬼子母神の石榴の由来を知りません。一心に石榴を喰う女と、それを見ている作者。無邪気な中に、無惨さもあり、しかし、眼差しには慈しみがあるでしょう。『近世俳句俳文集』(1963)所載。(小笠原高志)


November 02112013

 秋燈のひたひた満ちてゐる畳

                           西原天気

在の我が家のリビングの床は六十センチ四方のタイルが敷き詰められていて、汚れたら思いきり水拭きできて楽だけれど、照明が床に反射していつも明るい。思えば畳は、四季折々の光がしみこんだり流れたり明暗の表情を持ち、夜の灯はゆっくり部屋を包んでいった。ことに秋も深まってくると色濃い秋日に濡れ、やがてうすうす寒くなりつつ暮れた部屋が灯されると、そのあかりは静かに夜長の時を満たしてゆく。数えてみると、三年前に建て替えた現在の家が、仮住まいも含めるとちょうど十軒目の住まいとなるが、畳の部屋が無いのは初めてだったなと、今さらながらやや淋しい。『けむり』(2011)所収。(今井肖子)




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