東京、2072年には1・4人で1人の高齢者を支えることに。ふうん。(哲




2013ソスN11ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 05112013

 眼帯の中の目ぬくし黄落期

                           角谷昌子

謝野晶子が「金色の小さき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に」と詠んだように、銀杏を代表する鮮やかな黄色の落葉は、見慣れた場所を忘れさせるような美しさがある。まだ青みが残る頭上の空、赤く染まる地平線、そして舞い散る金色の落葉。まるでクリムトの世界に閉じ込められたような色づかいである。一方、掲句は一面の黄落のなかにいて、光りを遮断し刺激から守られた眼帯の奥にぬくみを感じる。そのあたたかさは眼帯のやわらかな布に守られたしずかに閉じたまなこの存在に行き当たる。この豪奢に舞い落ちる幾百枚の黄金の葉のなか、かくも穏やかなまなこをわが身が蔵していることの不思議を思うのである。『地下水脈』(2013)所収。(土肥あき子)


November 04112013

 図画といふ時間割あり鰯雲

                           赤坂恒子

の時代には「図画工作」という時間割だったような気がする。それはともかく、晴れた日の「図画」の時間は楽しみだった。たいていは好きな場所で好きなものを描けばよいという写生の時間だったから、暗い教室から解き放たれた私たちには、小さな遠足みたいな自由な雰囲気を満喫できるのだった。図画の得意な少数の子らを除いては、写生なんぞははなから眼中にはない。私なんぞは、まずゆっくりと坐るための場所を確保してから、おもむろに顔をあげて、視野の前方に入ってきたもののなかから描く対象物を決める始末であった。空は青空、いい天気。田畑での手伝いをしなくてもよい上天気が、いかに私たちを喜ばせたか。この句を読んで、そんな昔を懐かしく思い出した。クラスでいちばん絵の上手かった久保君は中卒で念願の大工になったが、三十代の若さで亡くなってしまった。よく見れば、鰯雲は寂しい雲だ。『トロンポ・ルイユ』(2013)所収。(清水哲男)


November 03112013

 石榴喰ふ女かしこうほどきけり

                           炭 太祇

榴(ざくろ)はペルシャ原産で、平安時代に伝わっています。鬼子母神の座像は、右手に吉祥果(ざくろ)を持っています。仏説では、千人の子を持つ鬼女・鬼子母神が、他人の赤子を喰らうのを戒める代わりに石榴を与え、以後、改悛して子育ての神となったということです。なお、鬼子母神のルーツは、ギリシャの女神・テュケであることを数年前の「アレクサンドロス展」で知りました。ギリシャ・マケドニアの大王がペルシャを通過して、東征したときに付随して伝わった物や事柄は多く、石榴もまた、そのように日本に流れついた一つなのかもしれません。炭太祇(1771没)はご存知、京都・島原廓内の不夜庵住まい。掲句は、遊女の客が持参した石榴なのか、赤く小さな実を一粒ずつけなげにほぐしている様子です。指と唇がかすかに赤く染まった遊女は、鬼子母神の石榴の由来を知りません。一心に石榴を喰う女と、それを見ている作者。無邪気な中に、無惨さもあり、しかし、眼差しには慈しみがあるでしょう。『近世俳句俳文集』(1963)所載。(小笠原高志)




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