ユネスコで米の投票権停止。米国は元来ユネスコに熱心じゃない。(哲




2013N1111句(前日までの二句を含む)

November 11112013

 大部分宇宙暗黒石蕗の花

                           矢島渚男

蕗の花は、よく日本旅館の庭の片隅などに咲いている。黄色い花だが、春の花々の黄色とは違って、沸き立つような色ではない。ひっそりとしたたたずまいで、見方によっては陰気な印象を覚える花だ。それでも旅館に植えられているのは、冬に咲くからだろう。この季節には他にこれというめぼしい花もないので、せめてもの「にぎやかし」にといった配慮が感じられる。そんな花だけれど、それは地球上のほんの欠片のような日本の、そのまた小さな庭などという狭い場所で眺めるからなのであって、大部分が暗黒世界である宇宙的視座からすれば、おのずから石蕗の花の評価も変わってくるはずだ。この句は、そういうことを言っているのだと思う。大暗黒の片隅の片隅に、ほのかに見えるか見えないかくらいの微小で地味な黄色い花も、とてもけなげに咲いているという印象に変化してくるだろう。『延年』(2002)所収。(清水哲男)


November 10112013

 経行の蹠冷たくて冬紅葉

                           瀬戸内寂聴

行(きんひん)は仏教語。座禅中、足の疲労をとるためや眠気をとるために、一定の場所を巡回・往復運動すること。(「日本語大辞典」より)。蹠(あうら)は皮膚のかたい足の裏。枕草子「冬はつとめて」を想起させる、凛とした情景です。たしかに、現在、冬でも温々した環境に身を置いている者にとって、冷え冷えする情景は、修行の場以外にはそうそうありません。「経行」(kinhin)が、かすかに音を立ててくり返されている様子を音標化していて、「蹠」(あうら)という語感には、冷たい床板にじかに接着する質感が伴っており、しかも字余りだから冷たさも余計に伝わってきます。ここまでの情景には、玄冬という語がふさわしい厳しさ寒さがありますが、それゆえに、冬紅葉の赤が鮮やかに目にしみます。かつて禁色だった赤も、冬紅葉であるならば修行の場で許され、むしろ、このうえない目の楽しみとしてあがめられているのではないでしょうか。古刹の冬の情景を、調べとともに映像的に、しかも、冷たさまでをも伝えています。『寂聴詩歌伝』(2013)所収。(小笠原高志)


November 09112013

 白湯一椀しみじみと冬来たりけり

                           草間時彦

起きて水を一杯飲むと良い、という話をしていたら、お湯の方がいいですよ、と言われた。その人は夏は常温、冬でもほどほどに温かいものしか口にしないのだと言う。え、冷たい麦酒は、と思わず聞くと、麦酒の味は好きなんですよ、でも冷やしません、麦酒によっては美味しいんですよ・・・ちょっと調べるとそれは本当だった。さらに、白湯健康法なるものもにも行き当たる。50℃位の白湯を少しずつ啜るのが良いという。掲出句、まさにお椀を両てのひらで包んで、ゆっくりと啜りながら味わっている風情。もちろん、今の私のようにちょこちょこ検索しては生半可な知識を得ているのではなく、体がすこし熱めの白湯を欲してその甘さに、しみじみ冬の到来を実感しているのだ。八冊の句集から三七九句を収めた句集『池畔』(2003)の最後のページには〈年よりが白湯を所望やお元日〉の一句もある。(今井肖子)




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