「勤労感謝」という言葉。どうとでもとれる。これが「日本語」。(哲




2013ソスN11ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 23112013

 旅に出て忘れ勤労感謝の日

                           鷹羽狩行

書や歳時記には、新嘗祭を起源とするとあるが、他のいくつかの国民の祝日同様、その意義を考えることが少なくなってしまった勤労感謝の日である。俳句にするには正直、音が多くなかなか難しく、何もしないでゆっくり過ごす、といった詠み方をよく見かけるが掲出句は、忘れ、といっている。紅葉もいよいよ美しくまさに旅に出るにはよい季節だが、勤労感謝の日であることを忘れていた、というより、どこか釈然としない、現在の国民の祝日のあり方に対する皮肉のようにも感じられる。『合本俳句歳時記第四版』(角川学芸出版)所載。(今井肖子)


November 22112013

 リボンの娘手つなぎくるや崩れ簗

                           波多野爽波

ボンを結んだ娘が二人、手を繋ぎながらやってくる。どのような場所へ出てくるのかと思いきや、「崩れ簗(やな)」である。崩れ梁は、晩秋、漁期が過ぎて放置され、崩れ壊れた簗のこと。上五中七から「崩れ梁」への転換は、単に意外という領域を越えている。「春泥に押しあひながら来る娘 高野素十」という明るい句と比較してみても分かるが、下五「崩れ梁」の季語は、リボンの娘のイメージを崩れさせ、荒涼とした世界へと読み手を誘う。その詩的飛躍は、嗜虐趣味に近い気がする。『一筆』(1990)所収。(中岡毅雄)


November 21112013

 休日出勤冬木の枝の燦々と

                           押野 裕

さっては勤労感謝の日。「勤労を尊び感謝する日」が土曜日と重なっているけど、休日出勤の方もいるかもしれない。皆がのんびりしている休日に電車に乗るといつもは混んでいる時間帯も座れるぐらいすいている。向かいの窓からは冬木の梢が凛と輝いて見える。「休日出勤」と言っても平日に代休がある出勤と普段の仕事が片付かないで休日に出てやるのを余儀なくされるのではだいぶ事情が違う。後者の場合は、下手をすると休みなしで連続して仕事をしないといけないわけで、冬木の枝が輝くのを見ている心持も嬉しいとは言えないだろう。そう思うと「燦々」と輝く冬木と鬱屈した気持ちとの対比がより際立ってくるように思う。『雲の座』(2011)所収。(三宅やよい)




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