今日は全国的に雨模様。空気がからからの東京には恵みの雨だ。(哲




2013ソスN11ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 25112013

 県道に俺のふとんが捨ててある

                           西原天気

あ、えらいこっちゃ。だれや、こんな広い路のど真ん中に、俺のふとんをほかしよったんは。なんでや。どないしてくれるんや……。むろん情景は夢の中のそれだろう。しかし夢だからといって、事態に反応する心は覚醒時と変わりはない。むらむらと腹が立ってくる。しかし、こういう事態に立ち至ると、「どないしてくれるんや」と怒鳴りたくなる一方で、気持ちは一挙にみじめさに転落しがちである。立腹の心はすぐに萎えて、恥辱の念に身が縮みそうになる。この場から逃げだしたくなる。ふとんに限らず、ふだん自分が使用している生活用具などがこういう目にあうと、つまり公衆の面前に晒されると、勝手に恥ずかしくなってしまうということが起きる。手袋やマフラーくらいなら、経験者は多数いるだろう。人に見られて恥ずかしいものではないのに、当人だけがひとりで恥に落ち込んでいく。何故だろうか。この句を読んで、そんな人心の不思議な揺れのメカニズムに、思いが至ったのだった。それにしても「ふとん」とはねえ。『けむり』(2011)所収。(清水哲男)


November 24112013

 葱畑蟹のはさみの落ちてゐる

                           辻 桃子

で出会う驚きが、そのまま句になっています。葱畑に蟹のはさみが落ちている。なんの解釈の必要もない事実です。ただし、この実景に出会うためには気持ちを広く、同時に、敏感なセンサーを働かせる意識が必要です。句集には、掲句より前に「三国寒しトラちゃんといふ食堂も」があり、これも、旅人が立ち止まり、シャッターを押したような嘱目です。また、掲句より後に「とけるまで霰のかたちしてをりぬ」があり、しばらく霰(あられ)を見つめる目は童子の瞳です。ほかに、「九頭龍川」を詠んだ句もあり、越前・福井の冬の旅であることがわかりました。なるほど農家は、食べた後の越前ガニのはさみを畑の肥料にしているのだな。これは日常的な生活の知恵であり、しかし、旅人の目には、思いもよらないシュールレアリズムの絵画のような驚きを催しました。たしかに、葱と蟹のはさみは緑と赤の補色関係で配色されていて、かつ、立体的なモチーフです。土地と季節と生活者と旅人のコラボの句。『ゑのころ』(1997)所収。(小笠原高志)


November 23112013

 旅に出て忘れ勤労感謝の日

                           鷹羽狩行

書や歳時記には、新嘗祭を起源とするとあるが、他のいくつかの国民の祝日同様、その意義を考えることが少なくなってしまった勤労感謝の日である。俳句にするには正直、音が多くなかなか難しく、何もしないでゆっくり過ごす、といった詠み方をよく見かけるが掲出句は、忘れ、といっている。紅葉もいよいよ美しくまさに旅に出るにはよい季節だが、勤労感謝の日であることを忘れていた、というより、どこか釈然としない、現在の国民の祝日のあり方に対する皮肉のようにも感じられる。『合本俳句歳時記第四版』(角川学芸出版)所載。(今井肖子)




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