この冬は寒くなるらしい。マフラこいったかな。(哲




2013ソスN11ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 28112013

 巻貝の渦ゆきわたる冬銀河

                           花谷和子

気が冴えてくると星の輝きにも寒々とした光が宿る。巻貝の渦とは螺旋状に巻く殻の形状を表しているのだろう。銀河系の星の渦を巻貝の殻のかたちと重ね合わせたことで、海辺に生息する巻貝から数知れぬ星々を巻く銀河系宇宙とへと想像が広がっていく。まさに極小の詩形である俳句が極大なものを表現することができる見本のような句だ。巻貝の殻を「渦」と捉えたところに冬銀河との隠喩が生まれるのだが、その類似をつなぐのに「ゆきわたる」という言葉を配したことがこの句に宇宙へと広がる躍動感を与えているように思う。『歌時計』(2013)所収。(三宅やよい)


November 27112013

 サンルーム花と光のさざめける

                           神保光太郎

句としてすぐれた出来ではないと思うけれど、詩人・神保光太郎の俳句は珍しい。しかも「サンルーム」を季語にした俳句を、私はこれまであまり見かけていない。サンルームと言わないまでも、寒気が強くなるとともに暖かい陽ざしが恋しくなってくる。そんな今日この頃。暑いときはあんなに日陰を選んで歩いていたのに、今は逆に誰しも日当りを求めて歩きたい。サンルームのなかでは、日ざしによって汗ばむほどになる。掲句の「花」はいったい何という花だろうか? シクラメンだろうか……季節の花なら何であってもかまわない。花と光があふれさざめいて、冬にはとても快適なスペースである。光太郎は若いときは短歌も作った。のち「日本浪漫派」の同人として活躍し、堀辰雄らの第二次「四季」にも参加した。今は光太郎をよく知らない人が増えているかもしれない。じつは私は大学時代に、神保教授のドイツ語の授業を受けたことがある。たいていベレー帽をかぶり、笑いを絶やさない先生だった。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


November 26112013

 茶の花や家族写真の端は母

                           齋藤朝比古

族写真では家族の誰かがタイマーで撮影する。撮影者を除いた家族は一列に並び、母は遠慮がちに端に位置する。撮影者はタイマーをセットしたのち、列の端に加わるのが最適だと考える。が、しかし、母たるものの思考はそうではない。戻ってきた撮影者に対して「さぁさぁあなたが真ん中に。ほらここに入りなさい」と身をゆずり、「お母さんもうそんなこといいから」といった押し問答の間に、無情にもシャッターはおりてしまう。今のような撮影状態が常時確認できるデジタルカメラではない時代、失敗した写真のどれもが現像されることとなり、思いがけないやりとりが目の当たりになることもある。茶の花もまた、目の位置にどんと咲くような花ではない。花ならばもっと真ん中に咲けばいいのに、と思う心が在りし日の母の姿に重なってゆく。『累日』(2013)所収。(土肥あき子)




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