何か書いておくべきことがあったのだけれど、うーむ何だったか。(哲




2013ソスN12ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 11122013

 学ぶときをいとほしんで冬ごもり

                           三遊亭らん丈

の寒さを避けて暖かい屋内にこもることを、「冬ごもり」は意味している季語だが、今日では交通機関や施設を含めて、どこでも暖房が効いている。また一般の人は冬だからと言って、とじこもって外出しないわけにいかない日々でもある。「冬ごもり」はきれいな響きをもつ言葉で好きだけれど、私たちの生活実感としてあまりピンとこない季語になってしまっている。もともと草木も花も葉もなく、霜雪に埋もれていることを「冬籠」とか「冬木籠」と称していたものらしい。句の意味合いは、冬ごもりして、じっくり時間をいとおしむようにして、いろんなことを学ぶことに精出す、勉強するということであろう。らん丈は三遊亭円丈の一番弟子で真打。早稲田大学と一橋大学それぞれの大学院で学んだというインテリ。このごろは大学卒などのインテリさんが多い。「学ぶ」と落語家は一見釣り合わないようだけれど、前座・二ツ目の修業時代からして学ぶことは多いのだから、「学ぶ」が不自然というわけではない。石田波郷の句に「背に触れて妻が通りぬ冬籠」がある。『全季俳句歳時記』(2013)所収。(八木忠栄)


December 10122013

 やがて地に還る身をもて受ける雪

                           赤坂恒子

を愛してやまなかった研究者中谷宇吉郎は「雪は天から送られた手紙である」と書いた。同じ生い立ちでありながら、地面に叩きつけられるのが雨なら、雪はゆらりゆらりと軽やかに宙をさまよう。空から舞い降りる雪に触れると、清らかなものに生まれ変わることができるような気持ちがわきあがる。それは純白の雪の美しさとともに、すべてを白一色に覆い尽くしてしまう自然の力を畏れ、崇める心が働くからだろう。「雪ぐ」は「すすぐ」と読み、祓い清めるという意味を持つことを思うと、掲句の「やがて地に還る」とは、生物の逃れることのできない運命であるが、聖なるものの前でつぶやく懺悔の姿にも見えてくる。『トロンプ・ルイユ』(2013)所収。(土肥あき子)


December 09122013

 狐火やある日激しく老いてゆく

                           黒崎千代子

火の正体には諸説ある。遠くの山野で大量に発生し、あたかも松明を掲げた行列のように見えるというが、私は見たことがない。黒澤明の映画に夢をテーマにした作品があって、その第一話に狐の嫁入りの情景が出てきたけれど、あの行列の夜の模様と解すれば、かなり不思議であり不気味でもある。そんな狐火を見たのだろうか。作者はその途端に急激に老いてゆく自分を感じたと言うのだが、こちらのほうはうなづける気がする。普通、老いはじわじわとやってくると思われているけれど、私の実感ではある日一気に老化が進行したような気になったことが何度かある。足腰の弱りなどは、代表的な例だ。そんな肉体の衰えの不思議を狐火に結びつけた作者は、狐火に呆然とするように自分自身にも呆然としている。それが老いることの不思議であり怖さでもある。昔草森紳一が「一晩で白髪になるのだから、逆に一晩で黒髪に戻ることもあるにちがいない」と言ったが、残念なことに若返りのほうの不思議は起こらないようだ。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)




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