小学三年から英語を正課に。その前に日本語教育を充実せねば。(哲




2013ソスN12ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 14122013

 試験憂し枯木にさがりゐる縄も

                           沢木欣一

書きに「共通一次試験、東京芸大」とある。作者は昭和四十一年、当時の文部省から東京芸術大学助教授に転任、その後教授となり、この句を引いた句集『往還』(1986)出版の翌年、同大学を定年退職されている。試験会場となっている大学構内を歩いているのだろうか。次々に受験生とすれ違いながら、試験があるからこんな思いつめたような生気のない顔になってしまうのだと思っているのか、枯木にさがりゐる縄が象徴的だ。ただ、真剣に勉強している受験生の顔はとても凛々しく美しい。大学入試センター試験までほぼ一ヶ月、講習の準備をしたり過去問の質問に答えたりしながら、今の自分の美しさを彼女等は知らないだろうなと思ったりしている。(今井肖子)


December 13122013

 冬空や猫塀づたひどこへもゆける

                           波多野爽波

々とした冬空が広がっている。見ると、一匹の猫が塀伝いに歩いていた。そこから、作者の想像力は飛躍する。下五部分の「どこへもゆける」は七音の字余り。一句は、独特のしらべをなしている。「どこへもゆける」の表現には、主観が反映されており、解放感への羨望がある。背景が冬空であることが、一句のポイント。自由に移動することが許されている猫に対し、そのことが儘ならぬ自分への屈折した感情が、季語「冬空」から伝わって来る。『鋪道の花』(1956)所収。(中岡毅雄)


December 12122013

 寒卵割つてもわつても祖母の貌

                           玉田憲子

ヴィナスは他者の顔と出会うことが自分の生を見いだす契機になると説く。自分の支配に取り込もうとしてもできない他者の顔、特にそのまなざしは不可侵であり根源的な問いかけを持って相手の目をじっと見返す。寒卵をいくつも、いくつも割る。滑り落ちた黄身に重なって祖母の顔が浮かび上がってくる。これはなかなか怖い。寒卵は、「寒中には時に栄養豊富で生で食べるのが良い」と歳時記にある。とすると、祖母は自分の顔を食べろと寒卵の中から現れるのか。祖母が向けるまなざしはどんな感情を含んでいるのだろう。寒卵を二つに割るたび浮かび上がる祖母の顔。思いもかけぬときに生々しく蘇ってくる肉親の顔は、寂しく、孤独で、生きているうちに伝えきれなかった思いを無言で問うてくるかのようだ。『chalaza』(2013)所収。(三宅やよい)




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