December 242013
東京が瞬いてゐるクリスマス
茅根知子
クリスマスイルミネーションの発祥は、森のなかで輝く星の美しさを木の枝にロウソクを点すことで再現しようとしたものだといわれる。日本では昭和6年「三越」の電飾がさきがけだという。現在では、人気スポットでは12月に入る前から光ファイバーやフルカラーLEDを駆使して、競い合うようにまたたいている。掲句は「東京が瞬く」と書かれたことで、東京自体があえかな光りをまとい息づいているように見えてくる。作者はクリスマスの喧噪からそっと離れ、スノーボールに閉じ込めたようなきらめく東京を、手のひらに収めるようにして飽かずに眺め続けるのだ。『眠るまで』(2004)所収。(土肥あき子)
December 232013
天皇誕生日その恋も亦語らるる
林 翔
その恋も、もはやほとんど語られることはなくなった。ロマンスもまた、いつかは風化してしまうのだ。最近は、テレビに写る天皇の姿を注意して見るようになった。べつににわかに皇室崇拝の心が湧いてきたわけではなく、ひとりの老人としての彼の立ち居振る舞いが気にかかるからだ。背中を丸めやや覚束ない足どりで歩く姿を見ていると、自然に「転ぶなよ」とつぶやいている自分に気がつく。天皇は私より五歳年長である。だから彼の姿を注視することは、そのまま近未来の自分のそれをシミュレートしている理屈だ。軽井沢の恋などと騒がれたころには何の関心もなかった人だったが、いまはそんなふうにして大いに気になっている。どこかで真剣に「元気で長生きしてほしい」と願っている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)
December 222013
いつの間にうしろ暮れゐし冬至かな
角川春樹
冬至の日暮れです。「いつの間に」、日が暮れてしまったのだろうという驚きがあります。続く「うしろ」の使い方が巧妙です。暮らすということは、掃除でも、料理でも、前を向くこと、次の手順をこなすことです。生きているかぎり、好むと好まざるにかかわらず、私たちは、「前向き」に行動し、予定を気にしながら、先のことを考えて暮らしています。しかし、掲句は、「いつの間にうしろ」と書き出すことで、驚きながら、うしろを振り返る身振りを読み手に与えます。ふり返ると一日が終わり、一年が終わっていく。冬至の暮れは早く、東京では16時32分。一年のあれやこれやが思い起こされ、暮色に消え、長い夜を過ごします。「存在と時間」(1997)所収。(小笠原高志)
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