2014N11句(前日までの二句を含む)

January 0112014

 元日の富士に逢ひけり馬の上

                           夏目漱石

れあがって、雪を頂いた富士がことさら近くに感じられるのだろう。実際は富士を遠くから眺めているのだけれど、晴れ晴れとして実際よりも距離が近くに感じられるのだ。だから、驚きと親愛感をこめて「逢ひけり」と詠んだ。この表現の仕方が功を奏している。元日の富士の偉容が晴れがましいせいだろう、対象をグンと近くに引き寄せている。「馬の上」という下五は「作者が馬に乗っている」のか、それとも「馬の背越し」に富士を眺望しているのか、両方に解釈することができる。元日のことなのだから、馬の背に颯爽と高くまたがって富士を見ている、と私は解釈したい。そのほうが元日らしくて気持ちもいい。新幹線の窓越しに眺めていたのでは、この句のゆったりとして新鮮な勢いは生まれてこない。漱石の正月の句に「ぬかづいて曰く正月二日なり」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


December 31122013

 掛け替へし大注連縄の匂ひけり

                           小西和子

年末、出雲大社の神楽殿の大注連縄が掛け替えられたが、長さ13m、重さ5トン。最後はクレーン車に力を借りながら、大人30人ほどが大蛇の腹にまといつくようにして縒り合わせていた。6〜7年に一度という出雲大社は別として、神社の注連縄は毎年氏子が力を合わせて作り、掛け替えられるものだ。注連縄はその年に収穫された新藁で作られ、一本一本適した藁しべを選んでいくことから始まる。選ばれた藁しべで藁束を作り、縒り合わせるまで全て手作業の大仕事である。藁は、清潔すぎる木の香りとも、素朴すぎる土の香りとも違う、お日さまと風が静かに息を吹きかけたような豊かな香りを持つ。注連縄という神聖な場所の入口に張られるものからふっと漂う藁の香が、まるで来る年の幸を予感させるような清々しい気分にさせる。今年も残すところ今日一日。来年も引き続きよろしくお願いいたします。〈仕上げたる大注連は地につかぬやう〉『神郡宗像』(2013)所収。(土肥あき子)


December 30122013

 何時の間に冬の月出てゐる別れ

                           稲畑汀子

書に「昭和二十八年十二月」とある。年も押し詰まってきての「別れ」は、作者か相手どちらかの、よんどころない事情によるそれだろう。しかもいま別れると、もう当分会えそうもない。なかなかに別れ難くて縷々話し込んでいるうちに、ふと窓外の闇に目をやると、いつの間にか、冷たく輝く冬の月がかかっていた。美しいというよりも、凄まじい冷ややかさを湛えている。二人の話が深刻だっただけに、余計に冷たさが増幅して感じられたのだ。余談になるが、私は最近、ほとんど月を見ることがない。名月だの満月だのと周囲に言われても、結局は見逃してしまう。理由はしごく単純で、めったに夜間は外出しなくなったからだ。月を愛でることよりも、夜道での転倒のほうが怖いのである。その昔に、「侍だとて忘れちゃならぬ、それは風流、風流心」なんて流行歌もあったっけ。ましてや侍でもない当方としては、だんだん身の置き場がなくなってくる。『月』(2012)所収。(清水哲男)




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