2014N1句

January 0112014

 元日の富士に逢ひけり馬の上

                           夏目漱石

れあがって、雪を頂いた富士がことさら近くに感じられるのだろう。実際は富士を遠くから眺めているのだけれど、晴れ晴れとして実際よりも距離が近くに感じられるのだ。だから、驚きと親愛感をこめて「逢ひけり」と詠んだ。この表現の仕方が功を奏している。元日の富士の偉容が晴れがましいせいだろう、対象をグンと近くに引き寄せている。「馬の上」という下五は「作者が馬に乗っている」のか、それとも「馬の背越し」に富士を眺望しているのか、両方に解釈することができる。元日のことなのだから、馬の背に颯爽と高くまたがって富士を見ている、と私は解釈したい。そのほうが元日らしくて気持ちもいい。新幹線の窓越しに眺めていたのでは、この句のゆったりとして新鮮な勢いは生まれてこない。漱石の正月の句に「ぬかづいて曰く正月二日なり」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


January 0212014

 恵方から方向音痴の妻が来る

                           斉田 仁

方は「正月の神の来臨する方角」、その年の「歳徳神(とくとくしん)」のいる方角を表す。初詣はもともとその年の恵方の社寺にお参りする「恵方参り」だったそうで、本年は東北東のやや右が恵方になるという。そう言われても東西南北もろくにわからない方向音痴の妻には関係ないだろう。そんな妻が年神さまと一緒の方角からやってくる。たまたまだろうけど、何だかめでたいおかしさだ。私も、デパートに入って違う出口から出ただけでたちまち方角がわからなくなる「方向音痴の妻」の一人だけど、今日ぐらいは頑張って恵方にある社寺を探し初詣に行ってみたい。『異熟』(2013)所収。(三宅やよい)


January 0312014

 本あけしほどのまぶしさ花八ツ手

                           波多野爽波

ツ手は、初冬、小さくて細かい黄白色の花を鞠状にたくさんつける。その八ツ手の花に日が当たっているまぶしさを、本を開いたくらい…と喩えている。本を開けたほどのまぶしさというのだから、燦々と輝くようなまばゆさではない。ひっそりと、かすかな光を放っているのだ。そのかすかなまぶしさに、作者は惹きつけられた。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)


January 0412014

 電線の弛むもゆたか初景色

                           髙勢祥子

景色は、元日の四方の景色。昨日までと何ら変わらない風景ではあるけれど、年があらたまることで淑気が満ちて見えるのだ。何にそれを感じるか、何を見てどの景を切り取って初景色と言うか。この句の作者は頭上に横たわり揺れる電線に目を留めている。見なれたそのゆるやかな曲線を、ゆたか、と表現することで、作者の晴々とした心持ちと共に清々しい初御空がどこまでも青く続くだろう。(硬く青く一月一日の呼吸〉〈初鳩の考へてゐるふうで暇〉など、他にも個性的な正月の句が並んでいる。『昨日触れたる』(2013)所収。(今井肖子)


January 0512014

 白山の初空にしてまさをなり

                           飴山 實

山は、石川県白山市と岐阜県白川村の間に聳える霊峰です。古代より山岳信仰の対象として崇められ続け、白山神社は日本各地に2700社余り鎮座しています。信仰の有無にかかわらず、新春の朝、白山を仰げるのは喜ばしいことでしょう。その初空は真青です。白山が雪を冠して白いゆえに初空はいよいよ青く、初空が真青ゆえに白山はいよいよ白い。年初にふさわしい色彩の対置です。ニュートンの色彩論によると、青は広がりやすい波長を備えているので空や海は青く広がるらしいのですが、掲句の「まさを」というひらがなの語感にも、そのような青の広がりがふくまれているように感じられ、「白山」の凛とした輪郭と対照をなしています。掲句の要素を取り出してみると、「山・空・白・青」、そして、詠み手の主観である「初」です。何のドラマもありません。しかし、青空に聳える白山を眺めて、この一年が始動しています。作者は、「まさを」を半紙に「白山」と書き初めをしたのでしょう。『次の花』(1989)所収。(小笠原高志)


January 0612014

 七種粥ラジオの上の国家澄み

                           須藤 徹

日早いが、「七種」の句を。ラジオを聞きながら、作者は七種粥を前にしている。万病を除くという七種粥の祝膳に向かっていると、普通の食膳に対しているときとは違い、作者はいささかの緊張感を覚えている。七種粥は味を楽しむというよりも、この神妙な緊張感を保ちながら箸をつかうことに意義がありそうだ。おりからのラジオは、今年一年の夢や希望を告げているのだろう。その淑気のようなものとあいまって、七種粥のありようも一種の神々しさを帯びて感じられる。国家も、そして何もかもが澄んでいるようだ。が、作者はかつて国家が澄んだことなど一度もないことを知っている。知っているからこそ、国家が澄んでいるのはラジオの上だけのことと、いわば眉に唾せざるを得ないのである。いや、眉に唾しておく必要を強く感じているのだ。人は誰しもが雰囲気に流されやすい。時の権力は、いつでもそこを実に巧みに突いてくる。対して、身構えることの必要を、この句は訴えている。なお、作者の須藤徹氏は昨年六月に66歳の生涯を閉じられた。合掌。「ぶるうまりん」(27号・2013)所載。(清水哲男)


January 0712014

 よく食べてよく寝て人日となりぬ

                           青山 丈

日の起源は、古代中国の占の書からきており、一日から六日までは家畜、七日は人を占い、当日が晴なら吉、雨なら凶とされた。江戸時代では人日は公式行事となって、七草粥を食べて邪気を祓い無病息災を祈年する祝日とされた。正月の美食で疲れた胃を休める効果もあり、現在でも七草粥は正月行事の締めくくりとして風習に残る。掲句のもうはや七日と思う感慨には、ご馳走を重ね寝正月を決め込んだのちの満ち足りた心持ちとともに、明日から始まる日常のせわしさが懐かしいような恋しいような気分も含んでいる。それは浦島太郎がおもしろおかしく竜宮で過ごした日々を捨てて故郷に帰りたくなった気持ちにも似て、安穏が幸せとは限らないという人間の面白さでもある。『千住と云ふ所にて』(2013)所収。(土肥あき子)


January 0812014

 信濃路の餅の大きさはかりけり

                           室生犀星

の昔、わが家で搗いた餅は硬くならないうちに、祖父がなれた手つきで切り餅にした。その切れ端をそのままナマで食べると、シコシコしておいしかった。大きさは市販の切り餅に比べるとスマートではなく、だいたい大きめだった。小学生のころ正月の雑煮餅は、自分の年の数だけ食べるよう母に言われたものである。八歳で八個、十二歳なら十二個ーー無茶な! 正月とはいえ、モノがなかった戦後の田舎のことだから、正月のおやつは餅とミカンくらいしかなかった。だから雑煮を無理やり年の数だけ食べて腹を一杯にするという、とんでもない正月を過ごしていた(昼飯抜き)。そのせいか今も餅は大好き。さて、犀星は信濃路で出された田舎の餅の大きさに驚いたのだろう。まさか物差しで大きさを実際に測ったわけではあるまいが、「都会の餅に比べて大きいなあ!」と驚いているのだ。昭和二十一年一月の作というから、戦時中に比べ食料事情が少し良くなってきた、そのことを餅の大きさで実感してホッとしているのだろう。同じ時に作った句に「切り餅の尾もなきつつみひらきゐる」がある。不思議な句である。『室生犀星句集・魚眠洞全句』(1977)所収。(八木忠栄)


January 0912014

 その前にデートせえへん?宵戎

                           児玉硝子

売繁盛のえびす様。宵戎へ出かけるのを口実に「デートせえへん」とお目当ての人に声をかける。断られても気軽に誘った分ショックも少なくてすむ。そんな気持ちも関西弁の語り口調に感じられる。宵戎の人波をくっついて歩く頃にはすっかり仲良くなって、お連れさんが別嬪な福娘に見とれたら「ちょっといいかげんにしいや」と手を引っ張ったりするんだろうか。西宮戎では宵戎の1月9日深夜12時に神社の門を閉じ、翌朝大太鼓を合図に表大門が開かれると男たちが一斉に走り出し、一番乗りが福男になる。「えべっさん」の賑わいは関西の明るさのようで、毎年懐かしく眺めている。『青葉同心』(2004)所収。(三宅やよい)


January 1012014

 鶴凍てて花のごときを糞(ま)りにけり

                           波多野爽波

鶴とは、冬の最中、鶴が片脚で立ち、凍りついたように身動きもしないさまをいう。動物園では、その姿をよく見ることができる。そんな凍鶴が少し動いたかと思うと、排泄したのである。通常ならば、汚いと感じるところだろうが、爽波は、逆に、美しさを感じて、「花のごとき」と喩えている。下五の表現は、「露の虫大いなるものをまりにけり」という阿波野青畝の句が、元になっているのだろう。一方、内容的には、中村草田男の「母が家近く便意もうれし花茶垣」という句が、少なからず影響を与えていると思う。爽波は、生前、草田男のこの句について、しばしば触れていた。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)


January 1112014

 ぬるるもの冬田になかり雨きたる

                           水原秋桜子

やかな年末年始だったが、寒の入りの5日あたりからぐっと冷えこんでいる。そんなからからの東京に雨の予報、十二日ぶりだというが、この句の冬田も枯れ色に乾ききっていたのだろう。作者はかなりの時間、冬田を前に佇んでいたにちがいない、そこに雨。あ、雨、と気づくのは一瞬のことであり、それからあらためて冬田が雨に包まれていくのをじっと見ている作者である。景の広がりと共に時間の経過がこの短い一句の中に感じられるのは、冬田と雨、以外何もないからだろう。その省略が、寂寞とした冬田に自然の美しさを与えている。『秋苑』(1935)所収。(今井肖子)


January 1212014

 親しきは酔うての後のそば雑炊

                           吉村 昭

しい友と気がねなく盃を酌み交わし、いい感じで酔いが回った最後のしめにそば雑炊を注文する。これは、ある程度年かさのいった男達の句である。女子会ならば、しめにはデザートを注文するだろう。しかし、おじさん達は気もちよく飲むと、そば雑炊のようなしめを欲する。これは、生理的な欲求に近い。皆、一致団結してそば雑炊を注文し、ずるずる音をたててかき込み、男達の飲み会はお開きになるのである。だから、下腹も出てくるだろう。新年会のシーズンである。当方もしめはそば屋であった。それにしても、そば雑炊とは贅沢だ。自分で作ってもみたいが、これは、品のよい料理屋で出てくる一品だろう。なお、優れた小説を数多く残した吉村昭は、学習院大学時代、岩田九郎先生の「奥の細道」の授業中、「今日もまた桜の中の遅刻かな」と書いた紙を教壇の机に置いたというエピソードを、奥方の津村節子が書いている。岩田先生は、むしろご機嫌だったとも。「炎天」(2009)所収。(小笠原高志)


January 1312014

 成人祭ビルによきによきと育ちをり

                           武貞啓子

年の新成人人口は122万人。女よりも男のほうが少し多い。句作年度はわからないが、少なくとも十数年以上は前の句だろう。いわゆる高度成長期で、ビルが「によきによき」と建っていたころ、同じように数多くの若者たちも勢い良く育っていった。人間を建物のようにみなすのはユニークな発想だが、しかしそれが不自然ではなく受け取られるほどの「活気」があったのも間違いない。新成人の数は、第1次ベビーブーム世代の昭和24年生まれの人が成人に達した昭和45年が246万人で最も多くなった後,減少に転じ,53年には152万人。その後,昭和50年代後半から再び増加傾向を続け,第2次ベビーブーム世代の人が成人に達した時に200万人台(最多は平成6年207万人)となった後,平成7年に再び減少に転じて以降は減少傾向を続けており、今後の増加は見込めない。遠い未来のいつの日にか、再びこの句がすんなりと受け入れられる時代は来るのだろうか。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


January 1412014

 東京は寒し青空なればなお

                           高野ムツオ

京という文字には、都会・混雑・高層ビル群など、全てのイメージが詰め込まれている。宮城在住の作者の感じる東京の寒さとは、気温だけではなく、人間性や景色も含まれるものだ。高層ビルの隙間に見える空の切れ端が抜けるように青ければ青いほど、その無機質の物体との取り合わせが不気味に寒々しく感じさせるのだろう。そういえば、実家の母もひとりで東京には出てこない。やはり「寒いから」が理由で、それは静岡という温暖な場所に住んでいるせいだと取り合わなかったが、もしかしたら母もまた、気温とは別の寒さを訴えていたのかもしれないと、鈍な娘は今さらながら思い至ったのだ。〈瓦礫みな人間のもの犬ふぐり〉〈みちのくの今年の桜すべて供花〉『萬の翅』(2013)所収。(土肥あき子)


January 1512014

 水仙の花に埃や小正月

                           藤森成吉

のことを知っている人は少ないと思われるが、元日から始まる正月が「大正月」と呼ばれる。それに対して、1月14〜16日は「小正月」と呼ばれるということ。私も「大正月」という呼び方は知らなかった。「大正月」の終わりの日が「小正月」になる。また「大正月」が「男正月」とも呼ばれるのに対し、「小正月」は「女(め)正月」とも呼ばれる。この呼び方は知っていた。現在ではどうなっているかわからないが、この日に女性だけで酒盛りをする地方もあったとか。私が子どものころ、この日ばかりは父が朝飯を炊いていたことを記憶している。「女は休んで、男が台所をする日」と教わった。へえ。働き者の母はちゃんとゆっくり休んでいたのだろうか? 「女正月」は年末年始に格別忙しかった女性を、慰労する意味があったものと思われる。毎日、きちんと水仙の面倒を見ていた女性が、この日ばかりは休んでいるから、水仙の花にうっすらと埃がついているというのだろう。どことなくのんびりした雰囲気が漂っていて、結構な風習じゃないか。左翼文学者だった成吉は短歌や詩も作ったが、俳句も多く句集が二冊ある。他の句に「犬さきにもどりて行くや出初式」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


January 1612014

 孫を抱く孫は猫抱く炬燵かな

                           柳沼新次

いなぁ。おじいちゃんの膝にすっぽりはまる孫の暖かさ、孫の腕の中で眠る猫はすやすや。団子のように身を寄せ合ってあったまるのが冬の楽しみ。マンション暮らしの床暖房で長らく炬燵と無縁の生活をしている私などは、ほのぼのとした炬燵の風景に憧れてしまう。炬燵の上にはミカンがあって、孫のぬくもり猫のぬくもりが心地いい。掲句が収録されている句集の多くは介護度5の妻を支える日常を静かな心で受け止め詠んだ句が多い。「三十歩歩けた妻にポインセチア」「羽布団横掛けにして二人して」それと同時に老年を来て小春日和のようなひとときがある喜びをこれらの句から感じることが出来る。『無事』(2013)所収。(三宅やよい)


January 1712014

 福笑鉄橋斜め前方に

                           波多野爽波

笑の遊びをしているのは、室内。斜め前方に見えている鉄橋は、室外である。楽しげに福笑に興じている家族は、鉄橋に目を留めることもない。しかし、この句には、狂気に近い危うさが含まれている。上五「福笑」という和やかな季語は、中七「鉄橋」という無機質的な配合によって、揺すぶられる。しかも、その鉄橋は、「斜め前方」に見えている。この感覚世界は、倒錯感に近い揺らぎを読み手にもたらす。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)


January 1812014

 雪月夜わが心音を抱き眠る

                           本宮哲郎

月夜、静けさに満ちた美しい言葉だ。高々と在る冬の月の白と一面に広がる雪の白、どちらも輝くというほどではない光を湛えている。そしてそれは、目を閉じて自らの鼓動を確かめながら、来し方に思いをめぐらせている作者の心の中にある光景なのだろう。句集『鯰』(2013)のあとがきに「これからも命ある限り一句初心の志で、自然を通しての生活をより豊かに、より深く詠んでゆきたいと思っております」と書かれた作者だが、昨年十二月十八日に亡くなられた。その言葉どおり、特に掲出句を含む平成二十五年の句はいずれも平明で淡々としていて深い。合掌。(今井肖子)


January 1912014

 市振や雪にとりつく波がしら

                           高橋睦郎

振(いちぶり)は、新潟県糸魚川市の市振海岸。芭蕉の「奥の細道」では、ここの旅籠に一泊し、「一家に遊女もねたり萩と月」の句が残されています。冬の日本海の空は鉛色で、海も暗い灰色です。モノトーンの中の風雪は荒々しく、雪は縦に、横に、斜めに、左右に、錯綜しながら降り続けています。冬の海の全景は、一つの大きな波の音にまとめることができ、上五のbu、下五のgaといった濁音で構成された音でしょう。それは、初めのうちは襲いかかってくるような恐ろしい音ですが、そのような恐怖もしばらく佇んでいると慣れてきて、心を洗い流す禊ぎのように作用します。波の音に全身を没入しているうちに、詩人は「波がしら」を凝視し始めます。これが、「雪にとりつく」獰猛な生き物に見えてくる。波がしらは、雪にとりつくゆえ、それをのみ込み一瞬白いのか。実相観入。なお、「市振」の「ふる」と「雪」が縁語的につながっているのも、短歌をよくする詩人の技です。また、「とりつく」という擬人法によって、無生物の叙景の中に生き物が立ち現れています。他に、「面白う雪に暮れたる一日かな」。『稽古飲食』(1988)。(小笠原高志)


January 2012014

 遠き日の藁打つ音に目覚めけり

                           大串 章

の間の農家では、藁仕事が欠かせなかった。俵、草履、縄、筵などの一年を通じて日常的に必要なものをこしらえておく。子供でも、縄や草履くらいは自前で作ったものだった。そんな作業をはじめる前に、必ずやったのが「藁打ち」だ。適当な分量の藁束を、小さな木槌でていねいに叩いてゆく。素材の藁を作業しやすいようにしなやかな状態にしておくためだ。そんな藁を打つ音も、いまではまったく聞かれなくなったが、昔はそこらじゅうから聞こえてきたものである。句の作者は、何かの物音で目覚めたのだが、どういうわけか一瞬にしてそれが藁を打つ音だと納得している。現実的にそんなことはあり得ないのに、夢うつつの世界では、こういうことはよく起きる。そしてこのときに、作者は「遠き日の」自分自身に同化している。まったき少年と化している。人生は夢のごとしと素直に感じられるのも、またこういうときだろう。「俳句」(2014年1月号)所載。(清水哲男)


January 2112014

 みどりごと逢ふたびごとに日脚伸ぶ

                           いのうえかつこ

まれたばかりの赤ん坊を「みどりご」と呼ぶのは、新芽や若葉のような生命力に溢れていることからといわれる。日に日に顔立ちがしっかりとし、喜怒哀楽の表情が生まれ、誰彼に似通う部分を見つける。一日見ないのも惜しいほど、赤ん坊の成長はめざましく、また見る者を幸福にさせる。まだまだ寒いさなかだが、冬至から日はだんだんと伸び、目を凝らせば次の季節が遠くに待っている。「日脚」の言葉が、赤ん坊のまだ頼りない手足を思わせ、しかしそれもまたたく間に元気に走り回るだろうことが約束されている力強さも感じられる。『彩雲』(2013)所収。(土肥あき子)


January 2212014

 二十のテレビにスタートダッシュの黒人ばかり

                           金子兜太

の量販店のフロアーなら二十のテレビどころの数ではないから、これは街角の電気店の風景。ふと足を止めた視線の先に、スタートの位置に身を屈める黒人の姿が映し出された二十のテレビ画面がある。この句は俳句を作る上で一般的に避けるべきとされるさまざまなタブーを破っている。まず無季句であること。字余りであること。スタートダッシュという長い名詞を用い、しかもカタカナ語が二語出てくること。テレビを通して観る対象だから、間接的な把握になること等々。それら従来の作句方法の「要件」を歯牙にもかけず、(それら一つ一つに「挑戦する意識」があったらとてもこれだけまとめての掟破りはできない)とにかく作者の感じた「現在只今」が優先される。街角も、観ている側も、映し出されている画像も、二十のテレビそのものも、全てひっくるめて状況そのもの。このとき読むものはそこにまぎれもなく呼吸して動いている作者を見出すのである。『暗緑地誌』(1972)所収。(今井 聖)


January 2312014

 地吹雪や嘘をつかない人が来る

                           大口元通

とはあまり縁のない土地で育ったせいで、吹雪の中を歩いた経験はない。「素人が吹雪の芯へ出てゆくと」と櫂未知子の句にあるように、方向さへ見失う吹雪は恐ろしいものだろう。では吹雪と地吹雪はどこが違うのだろう?手元の歳時記を引くと「地吹雪は地上に積もった雪が風で吹き上げられること。地を這うような地吹雪と天を覆うまで高く吹き上げられる地吹雪がある」と説明されている。天から降ってくる雪ではなくて、風が主体になるのだろうか。逆巻きながら雪を吹き上げる風の中、身をかがめ一歩一歩足元を確かめながら歩いてくる人、「嘘をつかない人」だから身体に重しが入って飛ばされないというのか、。誇張された表現が地吹雪を来る人の歩み方まで想像させる。ならば嘘つきは軽々と地吹雪に飛ばされてしまうのか、子供のとき読んだ「ほら吹き男爵」の話を思い出してしまった『豊葦原』(2012)所収。(三宅やよい)


January 2412014

 畳まれて巌のごとし大屏風

                           波多野爽波

段、屏風というのは広げて用いるもの。しかし、作者は、畳まれている屏風を詠んでいる。「巌のごとし」というのは飛躍した比喩であるけれども、大きな屏風の質感をよく感じさせる。私は、この句が出された句会に出席していた記憶があるが、同時作に「井戸の辺をすり抜け屏風運ばるる」という作品があった。爽波は、句会の後、「頭の中で、『屏風』を思い浮かべていると、その映像が自然に動き始め、さまざまな情景が浮かんでくる」と語っていた。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)


January 2512014

 寒鴉飛びあがりつゝ土を見る

                           渡辺白泉

地に建つ我が家の東南の塀の前が長年ゴミ集積場となっているが、中には行儀の悪い人もいるので、年中鴉と戦っている。考えてみれば鴉に罪があるわけでもなく、やれやれと言いつつ散乱したゴミを片付けるのだ。<首かしげおのれついばみ寒鴉>(西東三鬼)とあるように、餌の少ないこの時期の鴉は動きも鈍く侘しさが感じられると言われているが、都会の鴉も確かにややおとなしい。そんな真冬の鴉だが、掲出句の鴉には野生の迫力がある。今の今までじっとしていた鴉が急に大きく羽ばたくその一瞬、鴉の視線は地面に向けられている。うっかり這い出した虫かなにか、餌を見つけたのだろう。土を見る、とは言えそうで言えない表現であり、鴉にも大地にも生命が躍動する。『新日本大歳時記 冬』(1999・講談社)所載。(今井肖子)


January 2612014

 遥かなる瀬戸の海光探梅す

                           小尻みよ子

梅は、宋代の漢詩に使われて以来、連歌、俳諧に用いられるようになった晩冬の季語です。つぼみのなか、梅の開花を探しに行く、風雅な冬のお散歩です。掲句(平成11年作)は、遥か向こうに瀬戸内の穏やかな海の光を見て探梅しているので、のどかな丘陵でしょう。ところで、平成12年作に「海望む吾子の墓所や木の葉降る」があり、「瀬戸の海光」は亡き息子がつねに見続けている遥かな先であることがわかります。1987年5月3日午後8時15分、兵庫県西宮市にある朝日新聞阪神支局に侵入した目出し帽の男が散弾銃をいきなり発射、支局員だった小尻知博記者(当時29歳)が命を奪われました。「未解決今日もあきらめ明日を待つ」「知博に会いに行く道今日も過ぎ」「おもいだす地名も辛し西宮」。句集前半の84句に季語はほとんどありません。それが、平成5年作「夢叶はざりし子の忌近づく雉子の声」同6年作「来し方をゆさぶる真夜の虎落笛」と、季語を読み込むことで句に変化が現れてきます。決して忘れることのできない不条理な悲しみを、季語が共鳴しているようです。「探梅す」の掲句にいたっては、ややもすると内向きになりがちな気持ちを外に向かわせてくれている作者の心持ちをたどることができます。季語が、前向きに生きる応援をしています。なお、句集の中で特筆したいのは、加害者に対する怨みの一言もない点です。高貴な心に触れました。『絆』(2002・朝日新聞社)所収。(小笠原高志)


January 2712014

 いちにちのをはり露けき火消し壷

                           石田郷子

語は「露(けき)」で秋の句なのだろうが、「火消し壷」が多用される時季の冬句としても差し支えないだろう。いまではすっかりアウトドア用品と化してしまった火消し壷も、昔は家庭の台所で重宝されていた。一日の終りに燃えさしの炭や薪を壺に入れて火を消し、また翌日の燃料として再利用する。消し炭は火がつきやすいので、朝の忙しい時間にはありがたかった。句の「露けき」は「いちにちのをはり」にかかっていると同時に、「火消し壷」にもかけられていると読んだ。火消し壷というと、たいていは灰だらけなのだけれど、句のそれは新品なのか洗い立てなのか、しっとりと露を含んだような鉄の色を見せて立っている。まことに気分がよろしい。火消し壷のそのようなたたずまいに目が行くということは、その日の作者の心の充実ぶりを暗示していると思われる。よき一日だったのだ。ところで我が家から火消し壷が消えたのは、いつごろのことだったか。思い出せない。「星の木」(12号・2014年1月20日刊)所載。(清水哲男)


January 2812014

 襟巻となりて獣のまた集ふ

                           野口る理

頃動物好きを肯定しながら、あらためて振り返るとアンゴラやらダウンやら、結構な数の動物たちがクローゼットに潜んでいる。幼い時分には、尾をくわえた狐の襟巻きなどもよく見かけたものだが、最近は動物愛護の観点から生前の姿そのまま、というかたちは少なくなったようだ。たしかに今見ればグロテスクと思わせるそれであるが、はたして殺生をしたうえでこのぬくもりがあるのだとはっきり自覚することも大切なのではないかとふと思う。食品も衣料も、今やなにからできているのかさだかではない時代にあって、まごうことなき狐が集う光景は、豪華というより真っ正直な感じがしていっそ心地良いように思われるのだ。『しやりり』(2014)所収。(土肥あき子)


January 2912014

 生き死にの話ぽつぽつどてら着て

                           川上弘美

ういう句に惹かれるのは、こちらが齢を重ねたせいだろうな、と自分でも思う。若い人がこの句の前で立ち止まるということは、あまりないのではあるまいか。(こんな言い方は、作者に対して失礼だろうか?)それにしても「どてら」(褞袍)という言葉は、一部の地方を除いてあまり聞かれなくなった。今は「たんぜん」(丹前)のほうが広く使われている呼称のようだ。呼び方がちがうだけで、両者は同じものである。『俳句歳時記』(平井照敏編)では「広袖の綿入りの防寒用の着物。江戸でどてらと呼び、関西で丹前と呼んだが、いまは丹前と呼ぶのが普通である」と明解である。雪国育ちの私などは「どてら」と呼んでいた。何をするでもなく、お年寄りが寄り合えば、生きてきた過去の思い出、先に亡くなった仲間のことが話題になり、おのがじし溜息まじりに明日あさってのことを訥々とぽつぽつ口にのぼせながら、うつろな目つきで茶などすすっているのだろうか。「どてら」はお年寄りにゆったりとしてよく似合う。どことなくオシャレ。ここは「丹前」でなくて、やはり「どてら」だろう。弘美の同時発表の句に「球体関節人形可動範囲無限や海氷る」という凄まじい句がある。句集に『機嫌のいい犬』(2010)がある。加藤楸邨の句に「褞袍の脛打つて老教授「んだんだ」と」がある。「澤」(2014.1月号)所載。(八木忠栄)


January 3012014

 青空の雫集めて氷柱かな

                           齋藤朝比古

国の暮らしに、軒先に伸びた氷柱は時に危険なものになりかねず、その始末も大変だろう。しかし家の内側から空を見上げる角度に垂れ下がり、夜空の星や、空の光を受けてきらきら光る氷柱はとてもきれいだ。屋根に積もった雪が家から伝わってくる熱に溶かされて軒先から少しつずつ滴る。その滴りがだんだんと凍ってゆき、軒先に棒状の氷柱が伸びてゆく。空から来た雪が解けて氷柱になる不思議、「青空の雫」という表現にそうした来歴ばかりでなく雪晴れの空を封じ込めてうす青く光る氷柱の美しさを感じさせる。『累日』(2013)所収。(三宅やよい)


January 3112014

 雪うさぎ柔かづくり固づくり

                           波多野爽波

うさぎとは、盆の上に雪の塊をのせ、目は南天の赤い実をつけ、兎の形にしたもの。その雪うさぎに、柔らかく固めたものと、かたく固めたものとがあるというのだ。雪うさぎを実際に作っている触覚が蘇ってくる。一句は巧まず、イメージを素直に詠んでいる。爽波には、シャープでシュールな感覚の句が多いが、こんな繊細でメルヘンチックな句もあるのだ。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)




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