米国に記録的な寒さをもたらしている寒気が日本にも流れ込むと。(哲




2014ソスN1ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1012014

 鶴凍てて花のごときを糞(ま)りにけり

                           波多野爽波

鶴とは、冬の最中、鶴が片脚で立ち、凍りついたように身動きもしないさまをいう。動物園では、その姿をよく見ることができる。そんな凍鶴が少し動いたかと思うと、排泄したのである。通常ならば、汚いと感じるところだろうが、爽波は、逆に、美しさを感じて、「花のごとき」と喩えている。下五の表現は、「露の虫大いなるものをまりにけり」という阿波野青畝の句が、元になっているのだろう。一方、内容的には、中村草田男の「母が家近く便意もうれし花茶垣」という句が、少なからず影響を与えていると思う。爽波は、生前、草田男のこの句について、しばしば触れていた。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)


January 0912014

 その前にデートせえへん?宵戎

                           児玉硝子

売繁盛のえびす様。宵戎へ出かけるのを口実に「デートせえへん」とお目当ての人に声をかける。断られても気軽に誘った分ショックも少なくてすむ。そんな気持ちも関西弁の語り口調に感じられる。宵戎の人波をくっついて歩く頃にはすっかり仲良くなって、お連れさんが別嬪な福娘に見とれたら「ちょっといいかげんにしいや」と手を引っ張ったりするんだろうか。西宮戎では宵戎の1月9日深夜12時に神社の門を閉じ、翌朝大太鼓を合図に表大門が開かれると男たちが一斉に走り出し、一番乗りが福男になる。「えべっさん」の賑わいは関西の明るさのようで、毎年懐かしく眺めている。『青葉同心』(2004)所収。(三宅やよい)


January 0812014

 信濃路の餅の大きさはかりけり

                           室生犀星

の昔、わが家で搗いた餅は硬くならないうちに、祖父がなれた手つきで切り餅にした。その切れ端をそのままナマで食べると、シコシコしておいしかった。大きさは市販の切り餅に比べるとスマートではなく、だいたい大きめだった。小学生のころ正月の雑煮餅は、自分の年の数だけ食べるよう母に言われたものである。八歳で八個、十二歳なら十二個ーー無茶な! 正月とはいえ、モノがなかった戦後の田舎のことだから、正月のおやつは餅とミカンくらいしかなかった。だから雑煮を無理やり年の数だけ食べて腹を一杯にするという、とんでもない正月を過ごしていた(昼飯抜き)。そのせいか今も餅は大好き。さて、犀星は信濃路で出された田舎の餅の大きさに驚いたのだろう。まさか物差しで大きさを実際に測ったわけではあるまいが、「都会の餅に比べて大きいなあ!」と驚いているのだ。昭和二十一年一月の作というから、戦時中に比べ食料事情が少し良くなってきた、そのことを餅の大きさで実感してホッとしているのだろう。同じ時に作った句に「切り餅の尾もなきつつみひらきゐる」がある。不思議な句である。『室生犀星句集・魚眠洞全句』(1977)所収。(八木忠栄)




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