都知事選。細川の出馬表明で、争点はにわかに反原発か否かに。(哲




2014ソスN1ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1212014

 親しきは酔うての後のそば雑炊

                           吉村 昭

しい友と気がねなく盃を酌み交わし、いい感じで酔いが回った最後のしめにそば雑炊を注文する。これは、ある程度年かさのいった男達の句である。女子会ならば、しめにはデザートを注文するだろう。しかし、おじさん達は気もちよく飲むと、そば雑炊のようなしめを欲する。これは、生理的な欲求に近い。皆、一致団結してそば雑炊を注文し、ずるずる音をたててかき込み、男達の飲み会はお開きになるのである。だから、下腹も出てくるだろう。新年会のシーズンである。当方もしめはそば屋であった。それにしても、そば雑炊とは贅沢だ。自分で作ってもみたいが、これは、品のよい料理屋で出てくる一品だろう。なお、優れた小説を数多く残した吉村昭は、学習院大学時代、岩田九郎先生の「奥の細道」の授業中、「今日もまた桜の中の遅刻かな」と書いた紙を教壇の机に置いたというエピソードを、奥方の津村節子が書いている。岩田先生は、むしろご機嫌だったとも。「炎天」(2009)所収。(小笠原高志)


January 1112014

 ぬるるもの冬田になかり雨きたる

                           水原秋桜子

やかな年末年始だったが、寒の入りの5日あたりからぐっと冷えこんでいる。そんなからからの東京に雨の予報、十二日ぶりだというが、この句の冬田も枯れ色に乾ききっていたのだろう。作者はかなりの時間、冬田を前に佇んでいたにちがいない、そこに雨。あ、雨、と気づくのは一瞬のことであり、それからあらためて冬田が雨に包まれていくのをじっと見ている作者である。景の広がりと共に時間の経過がこの短い一句の中に感じられるのは、冬田と雨、以外何もないからだろう。その省略が、寂寞とした冬田に自然の美しさを与えている。『秋苑』(1935)所収。(今井肖子)


January 1012014

 鶴凍てて花のごときを糞(ま)りにけり

                           波多野爽波

鶴とは、冬の最中、鶴が片脚で立ち、凍りついたように身動きもしないさまをいう。動物園では、その姿をよく見ることができる。そんな凍鶴が少し動いたかと思うと、排泄したのである。通常ならば、汚いと感じるところだろうが、爽波は、逆に、美しさを感じて、「花のごとき」と喩えている。下五の表現は、「露の虫大いなるものをまりにけり」という阿波野青畝の句が、元になっているのだろう。一方、内容的には、中村草田男の「母が家近く便意もうれし花茶垣」という句が、少なからず影響を与えていると思う。爽波は、生前、草田男のこの句について、しばしば触れていた。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)




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