本日は大寒。「大寒たまご」なるものがあるそうですが……。(哲




2014ソスN1ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2012014

 遠き日の藁打つ音に目覚めけり

                           大串 章

の間の農家では、藁仕事が欠かせなかった。俵、草履、縄、筵などの一年を通じて日常的に必要なものをこしらえておく。子供でも、縄や草履くらいは自前で作ったものだった。そんな作業をはじめる前に、必ずやったのが「藁打ち」だ。適当な分量の藁束を、小さな木槌でていねいに叩いてゆく。素材の藁を作業しやすいようにしなやかな状態にしておくためだ。そんな藁を打つ音も、いまではまったく聞かれなくなったが、昔はそこらじゅうから聞こえてきたものである。句の作者は、何かの物音で目覚めたのだが、どういうわけか一瞬にしてそれが藁を打つ音だと納得している。現実的にそんなことはあり得ないのに、夢うつつの世界では、こういうことはよく起きる。そしてこのときに、作者は「遠き日の」自分自身に同化している。まったき少年と化している。人生は夢のごとしと素直に感じられるのも、またこういうときだろう。「俳句」(2014年1月号)所載。(清水哲男)


January 1912014

 市振や雪にとりつく波がしら

                           高橋睦郎

振(いちぶり)は、新潟県糸魚川市の市振海岸。芭蕉の「奥の細道」では、ここの旅籠に一泊し、「一家に遊女もねたり萩と月」の句が残されています。冬の日本海の空は鉛色で、海も暗い灰色です。モノトーンの中の風雪は荒々しく、雪は縦に、横に、斜めに、左右に、錯綜しながら降り続けています。冬の海の全景は、一つの大きな波の音にまとめることができ、上五のbu、下五のgaといった濁音で構成された音でしょう。それは、初めのうちは襲いかかってくるような恐ろしい音ですが、そのような恐怖もしばらく佇んでいると慣れてきて、心を洗い流す禊ぎのように作用します。波の音に全身を没入しているうちに、詩人は「波がしら」を凝視し始めます。これが、「雪にとりつく」獰猛な生き物に見えてくる。波がしらは、雪にとりつくゆえ、それをのみ込み一瞬白いのか。実相観入。なお、「市振」の「ふる」と「雪」が縁語的につながっているのも、短歌をよくする詩人の技です。また、「とりつく」という擬人法によって、無生物の叙景の中に生き物が立ち現れています。他に、「面白う雪に暮れたる一日かな」。『稽古飲食』(1988)。(小笠原高志)


January 1812014

 雪月夜わが心音を抱き眠る

                           本宮哲郎

月夜、静けさに満ちた美しい言葉だ。高々と在る冬の月の白と一面に広がる雪の白、どちらも輝くというほどではない光を湛えている。そしてそれは、目を閉じて自らの鼓動を確かめながら、来し方に思いをめぐらせている作者の心の中にある光景なのだろう。句集『鯰』(2013)のあとがきに「これからも命ある限り一句初心の志で、自然を通しての生活をより豊かに、より深く詠んでゆきたいと思っております」と書かれた作者だが、昨年十二月十八日に亡くなられた。その言葉どおり、特に掲出句を含む平成二十五年の句はいずれも平明で淡々としていて深い。合掌。(今井肖子)




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