東京の桜開花日は3月24日、高知宮崎は3月18日。森田さんの予想。(哲




2014N130句(前日までの二句を含む)

January 3012014

 青空の雫集めて氷柱かな

                           齋藤朝比古

国の暮らしに、軒先に伸びた氷柱は時に危険なものになりかねず、その始末も大変だろう。しかし家の内側から空を見上げる角度に垂れ下がり、夜空の星や、空の光を受けてきらきら光る氷柱はとてもきれいだ。屋根に積もった雪が家から伝わってくる熱に溶かされて軒先から少しつずつ滴る。その滴りがだんだんと凍ってゆき、軒先に棒状の氷柱が伸びてゆく。空から来た雪が解けて氷柱になる不思議、「青空の雫」という表現にそうした来歴ばかりでなく雪晴れの空を封じ込めてうす青く光る氷柱の美しさを感じさせる。『累日』(2013)所収。(三宅やよい)


January 2912014

 生き死にの話ぽつぽつどてら着て

                           川上弘美

ういう句に惹かれるのは、こちらが齢を重ねたせいだろうな、と自分でも思う。若い人がこの句の前で立ち止まるということは、あまりないのではあるまいか。(こんな言い方は、作者に対して失礼だろうか?)それにしても「どてら」(褞袍)という言葉は、一部の地方を除いてあまり聞かれなくなった。今は「たんぜん」(丹前)のほうが広く使われている呼称のようだ。呼び方がちがうだけで、両者は同じものである。『俳句歳時記』(平井照敏編)では「広袖の綿入りの防寒用の着物。江戸でどてらと呼び、関西で丹前と呼んだが、いまは丹前と呼ぶのが普通である」と明解である。雪国育ちの私などは「どてら」と呼んでいた。何をするでもなく、お年寄りが寄り合えば、生きてきた過去の思い出、先に亡くなった仲間のことが話題になり、おのがじし溜息まじりに明日あさってのことを訥々とぽつぽつ口にのぼせながら、うつろな目つきで茶などすすっているのだろうか。「どてら」はお年寄りにゆったりとしてよく似合う。どことなくオシャレ。ここは「丹前」でなくて、やはり「どてら」だろう。弘美の同時発表の句に「球体関節人形可動範囲無限や海氷る」という凄まじい句がある。句集に『機嫌のいい犬』(2010)がある。加藤楸邨の句に「褞袍の脛打つて老教授「んだんだ」と」がある。「澤」(2014.1月号)所載。(八木忠栄)


January 2812014

 襟巻となりて獣のまた集ふ

                           野口る理

頃動物好きを肯定しながら、あらためて振り返るとアンゴラやらダウンやら、結構な数の動物たちがクローゼットに潜んでいる。幼い時分には、尾をくわえた狐の襟巻きなどもよく見かけたものだが、最近は動物愛護の観点から生前の姿そのまま、というかたちは少なくなったようだ。たしかに今見ればグロテスクと思わせるそれであるが、はたして殺生をしたうえでこのぬくもりがあるのだとはっきり自覚することも大切なのではないかとふと思う。食品も衣料も、今やなにからできているのかさだかではない時代にあって、まごうことなき狐が集う光景は、豪華というより真っ正直な感じがしていっそ心地良いように思われるのだ。『しやりり』(2014)所収。(土肥あき子)




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