東京地方にも大雪の予報。積雪の具合によっては選挙に影響も。(哲




2014ソスN2ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0822014

 白梅や百年経てば百年後

                           野口る理

の樹齢はそれこそ百年二百年、その花はほころんでからこぼれるまで淡々と早春を咲き続ける。風が吹いても、さして大きく揺れることもない静かな強さを持つ梅の木の前に作者は立っているのだろう。そんな時、理屈ではなくふと感じるもの、ヒトについてこの世について、考えたいような考えたくないような、言葉では到底うまく表せない何か、それがこの句から伝わってくるような気がした。見せかけの単純さや作為は見えず、作者自身がしかと存在している。それは句集のあとがきにある、「今」や「思い」を伝える手段としてではなく「俳句」そのものに向き合い作品にしていきたい、という作句姿勢によるものだろう。<曖昧に踊り始める梅見かな ><家にゐてガム噛んでゐる春休み >。『しやりり』(2013)所収。(今井肖子)


February 0722014

 手が冷た頬に当てれば頬冷た

                           波多野爽波

りつくように手が寒い。その手を頬に当ててみると、頬の方が冷たかったという驚き。頬より手の方が、寒さに対し敏感なのだろう。この句、主体を自分と考えることもできるが、「手」が冷たい人物と、「頬」が冷たい人物は、別人であると解釈することもできよう。「手が冷たい」と言ったら、傍にいた人が、「私のほっぺたに触ってごらん」と答えた。触ってみると、自分の手より、相手の頬が冷たかったのである。いずれにせよ、この句、口語調で、メルヘンチックな趣がある。『一筆』(1990)所収。(中岡毅雄)


February 0622014

 流氷が見たくて飴を舐めてをり

                           喜田進次

年も流氷が確認されたと、ニュースでやっていたが接岸はいつだろう。本物の流氷はまだみたことはなくて思い浮かぶのはテレビドラマ「北の国から」で消息不明になったトド撃ちに扮した唐十郎が流氷を渡って港へ帰って来るシーンだ。流氷って人が乗っても大丈夫なんだろうか、トドやあざらしは流氷に乗って旅するんだろうか。流氷ははるか北への旅情をかきたてる。舌の上になま温かく飴を転がす感触とオホーツク海から来る固く冷たい流氷。距離感と質感ともに対照的な二物の取り合わせが魅力的で、私も飴を舐めながら流氷を待ってみたい。『進次』(2012)所収。(三宅やよい)




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