昨日自室のカギが壊れ、窓から脱出してカギ屋さんを呼ぶハメに。(哲




2014蟷エ2譛12譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

February 1222014

 春銀座また出し忘れたる葉書ここ

                           永井龍男

季を問わず、投函するつもりの葉書をカバンに入れたまま投函するのを忘れてしまい、帰宅してから「しまった!」と気がつくという経験は、どなたにもあると思う。私にも何回か同じような経験があるし、ひどい時は葉書を二日間持ち歩いたなんてこともある。掲句は「また」というから、一回や二回の失敗ではないのだ。あの謹厳そうな表情をした龍男が「また、やっちゃった!」というのだから、どうにも可笑しい。本人の苦笑が見えるようだ。春の銀座だから陽気も良くて、いろいろなモノやコトに気を取られてブラブラしているうちに、つい投函しそこなった葉書を「まだ、ここにあった」と帰宅してから確認して頭をかいている図である。「ここ」というリアリティーが効果的である。銀座あたりを歩く場合にはできないことだが、私はいつも利用している駅へ行く途中にポストがあるから、投函を忘れないために郵便物はカバンなどにしまわず、手に持ったまま家を出てポストの前を通ることにしている。手に持ったまま忘れてしまうことは、まだ今のところない。龍男の春の句に「立春や王将は豊かに厚し」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


February 1122014

 箸といふ文化が不思議建国日

                           林 翔

界の食事の方法を大きく分けると、直に手を使う、箸を使う、ナイフ・フォークを使う、の三種類になるという。それぞれ食材やその調理法の違い、また作法によって独自に確立してきたものだ。昨年末に和食はユネスコ無形文化遺産に登録されたこともあり、和食をつかさどる箸は今後ますます注目されていくことだろう。頼りない二本の棒を片手で操り、まぜたり、はさんだり、運んだり、さまざまな機能をなんなくこなす。日本人が思うままに使うことのできる箸にはもうひとつ大きな利点がある。あらゆる食器のなかでなにより洗いやすく、清潔に保てることだ。(土肥あき子)


February 1022014

 薺咲き堰かれゐし時どつと過ぐ

                           矢島渚男

の訪れは、花や鳥が告げてくれる。ちなみに「春告鳥」といえば「ウグイス」のことであり、「春告草」は「ウメ」のことだ。しかし春を告げるといっても、ウグイスやウメは動植物のなかで先頭をきって告げてくれるわけじゃない。どちらかといえば、ゆったりと春の到来を確認したり念押ししたりするように感じられる。人間の春待つ心は、多く悠長ではない。とりわけて北国の人たちは、長く停滞する冬のプレッシャーのなかにあって、少しでも早く春の兆しをつかもうと待ちかまえているので、ウグイスやウメよりも、他の鳥や花の動静に敏感だ。そんななかで、薺の花はウメよりもかなり早い時期に咲きはじめるので、多くの人たちはむしろこちらの開花を待ち望んでいる。そして、早春のある日。庭や路傍に点々と咲きはじめる白くて小さい花々。目を凝らせば、あちらにもこちらにも白い花が咲いているではないか。と、認識した瞬間に、いままで澱んでいたような冬の時間のかたまりが、まるで堰を切ったように流れ出して、目の前を「どつと」過ぎていき、胸のつかえがとれたように晴れやかな気分になってゆく。地味な花の開花によって、「どつと」流れ出す大量の冬の時間。この句構成は、春待つ心の切実さを的確にとらえていて見事だ。『采微』所収。(清水哲男)




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