先日壊れた室内カギの補修ついでに、もう一箇所のカギを新調。(哲




2014蟷エ2譛25譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

February 2522014

 蕗の薹空が面白うてならぬ

                           仲 寒蟬

の間から顔を出す蕗の薹。薹とは花茎を意味し、根元から摘みとっては天ぷらや蕗味噌にしてほろ苦い早春の味覚を楽しむ。穴から出た熊が最初に食べるといわれ、長い冬眠から覚めたばかりで感覚が鈍っている体を覚醒させ、胃腸の働きを整える理にかなった行動だという。とはいえ、蕗の薹は数日のうちにたちまち花が咲き、茎が伸びてしまうので、早春の味を楽しめるのはわずかな期間である。なまじ蕾が美味だけに、このあっという間に薹が立ってしまうことが惜しくてならない。しかし、それは人間の言い分だ。冴え返る早春の地にあえて萌え出る蕗の薹にもそれなりの理由がある。地中でうずくまっているより、空の青色や、流れる雲を見ていたいのだ。苞を脱ぎ捨て、花開く様子が、ぽかんと空にみとれているように見えてくる。〈行き過ぎてから初蝶と気付きけり〉〈つばくらめこんな山奥にも塾が〉『巨石文明』(2014)所収。(土肥あき子)


February 2422014

 麗らかに捨てたるものを惜しみけり

                           矢島渚男

乏性と言うのだろう。なかなか物を捨てることができない。押し入れを開けると、たとえばオーディオ機器のコードの類いがぎっしりと詰まったビニール袋があったりする。さすがに壊れてしまった本体は処分してあるのだが、コードなどはまたいつか使うこともあろうかと、大事にとってあるのだ。が、ときどき袋のなかから適当に拾い出して見てみると、もはやどういう機器に使うためのコードなのかがさっぱり分からなくなっている。それでもやはり、断線しているわけではないはずだからと、とにかくまた袋に戻しておくことになってしまう。そんな私でも、この句が分かるような気がするのは不思議だ。いや、そんな私だからこそ分かるのかもしれない。作者が何を捨てたのかは知らないが、それを惜しむにあたって、「麗らかに」という気分になっている。これは一種の論理矛盾であって、惜しむのだったら捨てなければよいところだ。でも、思い切って捨てたのだ。そうしたら、なにか心地よい麗らかな気分がわいてきた。あたかも時は春である。この気分は、人間の所有欲などをはるかに越えて、作者の存在を大きく包み込んでいる。つまり、この句は人間の我欲を離れたところに存在できた素晴らしさを詠んでいる。捨てたことに一抹の寂しさを残しながらも、自分をとりまく自然界に溶けてゆくような一体感を得た愉しさ。これに勝るものは無しという境地……。『船のやうに』所収。(清水哲男)


February 2322014

 思案橋ブルース三寒四温かな

                           瀬戸正洋

し、居住地を自由に選べるなら、長崎に住んでみたい。江戸時代、オランダ人や中国人が駐留していたので、クレオール(混成)文化がいち早く形成されていて、たとえば卓袱(しっぽく)料理や長崎ちゃんぽんに代表されます。また、精霊流しやおくんちといった祭も派手で大がかりです。おくんちは、諏訪神社の氏子祭りですが、これは隠れキリシタンを改宗させて氏子にする目的もあったようで、質素倹約を旨とする江戸時代にしては例外的に派手な祭が許されていたといいます。したがって、多数のキリシタンにとっては受難の地であり、一方で原爆、水害といった痛みを記憶している町でもあるので訪れる者の足を立ち止まらせます。掲句の思案橋は、旧丸山遊郭の入り口で、花街へ行こうか行くまいか、思案のしどころだったことに由来します。1968年、長崎のキャバレーの専属だった中井昭・高橋勝とコロラティーノのデビューシングルにして唯一のヒット曲が「思案橋ブルース」です。この曲は、西田佐知子、美空ひばりらもカバーしており、同時期の長崎で別のキャバレーで専属だった内山田洋とクールファイブもカバーしていてYouTubeで聴けます。行ったり戻ったりの思案橋と、季節のそれの三寒四温。付かず離れず、調べのある句です。『B』(2014)所収。(小笠原高志)




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