今朝は北風が強い。こんなに春の待ち遠しい「春」があったろうか。(哲




2014ソスN3ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0632014

 高階に飼はれし猫の春愁

                           長澤奏子

の路地を恋猫が素早く駆け抜けてゆく。マンションの高階に飼われている猫は身のうちにざわざわする恋の予感を感じつつもわけもわからずうろうろ部屋の中を歩き回るしか術がなかろう。人間だって空中に宙吊りになって暮らせば本能にかけ離れた暮らしになるわけで身体に悪そうだ。と同じマンション暮らしでも地べたに近い階に住んでいる私なぞはそんな負け惜しみを呟いてみる。低かろうが高かろうが、閉じ込められて外にでられない猫の憂鬱には変わりはないけど、高階だからこそその春愁がいっそう哀れで、艶めいて感じられる。『うつつ丸』(2013)所収。(三宅やよい)


March 0532014

 しつけ絲ぬく指さきの余寒かな

                           奥野信太郎

つけ(躾/仕付)絲を辞書で引いたら、「絹物用にはぞべ糸、木綿物用にはガス糸」とあった。これがまたわからない。さらに調べると、「ぞべ糸」とは片撚りをした絹糸であり、「ガス糸」とは木綿糸表面のばらけ繊維をガスの炎で焼いて光沢を生じさせたものである、という。初めて知った。春になって新しくおろす着物(和・洋)のしつけ絲を器用に抜く、その人の指先には春とはいえ、まだ冬の寒さが残っているのだろう。子どもの頃、特別な日に新しくおろしてもらって着る衣服のしつけ絲を、母がピッピッと小気味よく抜いてくれたことを覚えている。さあ、暦の上では立春。ようやく春がやってきたけれども、実際にはまだ寒さは残り、女性の細い指先も、春先の冷たさを少し残しているように感じられるのだろう。しつけ絲を抜いてもらう喜びが、「余寒」のなかにもひそんでいるようだ。信太郎には、他に「炭はねて臘梅の香の静かなる」という句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


March 0432014

 鶯を鶯笛としてみたし

                           西村麒麟

話ではなにかにつけ美しい声が重宝された。人魚姫は声と引替えに人間の足をもらい、塔の上のラプンツェルは狩りをしていた王子の耳に歌声が届いた。王を死神から守ったのは小夜啼鳴(ナイチンゲール)の囀りであり、小夜啼鳴の別名は夜鳴鶯である。日本に生息する鳴き声が特に美しいとされる三鳴鳥は鶯、大瑠璃、駒鳥だそうだが、ことに鶯は古くから日本人に愛され、江戸時代には将軍家に特別に鶯飼という役職があったほどだ。掲句にも鶯の鳴き声に聞き惚れ、その囀りに惑わされた人間の姿が見えてくる。鶯を飼いならすには収まらず、笛として独占したいという作者に、魅了された者の悪魔的な展開が予感される。『鶉』(2014)所収。(土肥あき子)




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