今日は高知での桜開花予想日。東京三鷹の蕾はまだ堅いまま。(哲




2014ソスN3ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1832014

 春の夜の細螺の遊きりもなし

                           大石悦子

螺(きさご)は小さな巻貝。ガラスが出回る前にはおはじきとして使われた。ひとところに撒いた小さな貝を指で弾いて取っていく静かな遊びは、時折自分の影で覆われてしまう。そんなときは、体を傾げたり、位置をわずかに変えたりして、春の灯を従えるようにして遊ぶ。自註現代俳句シリーズの本書は、全句にひとことの自註が添えられる。あとがきには、せっかく苦労して十七音に閉じ込めた俳句に言葉を足す作業をむなしく思ったが次第にそれを楽しんだ、とあり、どの自註も俳句を邪魔することなく、ときには一行にも満たないそっけなさで綴られる。そこには十七音からこぼれ落ちた作者の素顔を見る楽しみがある。掲句に添えられた自註は「ひとり遊びが好きだと言ったら、孤独な人ねと返された」とある。作者にとってそのやりとりを思い出したこともまた喜びのひとつだったかもしれない。『大石悦子集』(2014)所収。(土肥あき子)


March 1732014

 曇り日のはてのぬか雨猫柳

                           矢島渚男

まにも降り出しそうな空の下、気にしながら作者は外出したのだろう。そしてとうとう夕刻に近くなってから、細かい雨が降り出した。気象用語的にいえば「小雨」が降ってきたわけだが、このような細かくて、しかもやわらかく降る雨のことを、昔から誰言うとなく「ぬか雨」あるいは「小ぬか雨」と言いならわしてきた。むろん、米ぬかからの連想である。細かくて、しかもやわらかい雨。戦後すぐに流行した歌謡曲に、渡辺はま子の歌った「雨のオランダ坂」がある。「小ぬか雨降る 港の町の 青いガス灯の オランダ坂で 泣いて別れた マドロスさんは……」。作詞は菊田一夫だ。小学生だった私は、この歌で「小ぬか雨」を覚えた。歌の意味はわからなかったけれど、子供心にも「小ぬか雨って、なんて巧い言い方なんだろう」と感心した覚えがある。農家の子だったので、米ぬかをよく知っていたせいもあるだろう。オランダ坂ならぬ河畔に立っていた作者は、猫柳に降る雨を迷いなく「ぬか雨」と表現している。それほどに、この雨がやわらかく作者の心をも濡らしたということである。『采薇』(1973)所収。(清水哲男)


March 1632014

 イソホ物語刷る音いづこ春寒し

                           角川源義

句は、第五句集『西行の日』(1975)の中の「天草灘」連作からです。「イソホ物語」=「伊曽保物語」=(イソップ物語)は、文禄2(1593)年、天草の宣教師ハビアンが、ポルトガル語からローマ字表記で訳して出版しました。これは、当時の日本語、とくに口語を研究するうえで第一級の資料を提供しています。国文学者でもある作者は天草の地を訪れ、四世紀前にコレジオ(イエズス会の学校)で印刷されていたその音に耳を傾けています。それが、1596年には秀吉の、1612年には徳川幕府の禁教令によってその音は、完全に絶たれてしまいます。しかし、「伊曽保物語」という本は残り、天草本は現存しています。出版社社長でもあった作者は「刷る音」の気配を探りつつ、「春寒し」で現在に着地しています。なお、明治四十年八月、北原白秋が与謝野鉄幹らと同地を訪れ『邪宗門』が生まれたとあります。「菜の花や天草神父に歌碑たづぬ」。(小笠原高志)




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