関東でも春一番が吹いた。高知ではソメイヨシノが開花。春や春。(哲




2014N319句(前日までの二句を含む)

March 1932014

 永すぎる春分の日の昼も夜も

                           江國 滋

月20日頃が春分の日とされる。母からは昔よく、この日を「春季皇霊祭」と聞かされた。戦前はそう呼ばれた宮中行事の一つだったが、今はその名称が語られることもなくなってきた。「自然をたたえ、生物を慈しむ日」と説明されている。知られている通り、滋は食道癌で1997年2月に入院した。入院してからさかんに俳句を作ったが、掲出句は同年3月20日に作られた六句のうちの一句。入院して病気と闘っている者にしてみれば、昼が夜よりも永くても短くても、いずれにせよ永い時間を持て余しているわけである。辛口で知られた滋らしい忿懣・不機嫌をうかがわせる句である。昼となく夜となく、ベッドの上で過ごしている病人にとっては、寝る間も惜しんで働く健康な人が羨ましいというか、恨めしい。3月19日の句に「『お食事』とは悲しからずや木の芽どき」がある。わかるわかる。滋は滋酔郎の俳号をもち癌と闘ったけれど、同年8月、62歳で亡くなった。『癌め』(1997)所収。(八木忠栄)


March 1832014

 春の夜の細螺の遊きりもなし

                           大石悦子

螺(きさご)は小さな巻貝。ガラスが出回る前にはおはじきとして使われた。ひとところに撒いた小さな貝を指で弾いて取っていく静かな遊びは、時折自分の影で覆われてしまう。そんなときは、体を傾げたり、位置をわずかに変えたりして、春の灯を従えるようにして遊ぶ。自註現代俳句シリーズの本書は、全句にひとことの自註が添えられる。あとがきには、せっかく苦労して十七音に閉じ込めた俳句に言葉を足す作業をむなしく思ったが次第にそれを楽しんだ、とあり、どの自註も俳句を邪魔することなく、ときには一行にも満たないそっけなさで綴られる。そこには十七音からこぼれ落ちた作者の素顔を見る楽しみがある。掲句に添えられた自註は「ひとり遊びが好きだと言ったら、孤独な人ねと返された」とある。作者にとってそのやりとりを思い出したこともまた喜びのひとつだったかもしれない。『大石悦子集』(2014)所収。(土肥あき子)


March 1732014

 曇り日のはてのぬか雨猫柳

                           矢島渚男

まにも降り出しそうな空の下、気にしながら作者は外出したのだろう。そしてとうとう夕刻に近くなってから、細かい雨が降り出した。気象用語的にいえば「小雨」が降ってきたわけだが、このような細かくて、しかもやわらかく降る雨のことを、昔から誰言うとなく「ぬか雨」あるいは「小ぬか雨」と言いならわしてきた。むろん、米ぬかからの連想である。細かくて、しかもやわらかい雨。戦後すぐに流行した歌謡曲に、渡辺はま子の歌った「雨のオランダ坂」がある。「小ぬか雨降る 港の町の 青いガス灯の オランダ坂で 泣いて別れた マドロスさんは……」。作詞は菊田一夫だ。小学生だった私は、この歌で「小ぬか雨」を覚えた。歌の意味はわからなかったけれど、子供心にも「小ぬか雨って、なんて巧い言い方なんだろう」と感心した覚えがある。農家の子だったので、米ぬかをよく知っていたせいもあるだろう。オランダ坂ならぬ河畔に立っていた作者は、猫柳に降る雨を迷いなく「ぬか雨」と表現している。それほどに、この雨がやわらかく作者の心をも濡らしたということである。『采薇』(1973)所収。(清水哲男)




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