「春や春」と浮かれていたら、またまた冬に逆戻りだ。やれやれ。(哲




2014ソスN3ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2032014

 蒲公英や三つ揃ひ着てヘルメット

                           榮 猿丸

付バイクにでも乗るのだろうか。この頃は三つ揃いの背広姿の人もあまり見かない。例えば建設現場を見にきた重役なら上等そうな三つ揃いスーツにヘルメットという姿はありそう。だけど、そんな重さは蒲公英に似つかわしくない。ここは可憐な蒲公英との取り合わせで、春らしく明るいシーンが似合う。普段はTシャツにジーンズで跨がる原付に今日は三つ揃い。結婚式かパーティーか初出勤か。ヘルメットと三つ揃いのアンバランスが特別な日を感じさせる。その華やいだ気持ちを春の日差しを浴びて輝く蒲公英が引き立てている。丸く愛嬌のある蒲公英は胸元に挿しても似合いそうな。『点滅』(2014)所収。(三宅やよい)


March 1932014

 永すぎる春分の日の昼も夜も

                           江國 滋

月20日頃が春分の日とされる。母からは昔よく、この日を「春季皇霊祭」と聞かされた。戦前はそう呼ばれた宮中行事の一つだったが、今はその名称が語られることもなくなってきた。「自然をたたえ、生物を慈しむ日」と説明されている。知られている通り、滋は食道癌で1997年2月に入院した。入院してからさかんに俳句を作ったが、掲出句は同年3月20日に作られた六句のうちの一句。入院して病気と闘っている者にしてみれば、昼が夜よりも永くても短くても、いずれにせよ永い時間を持て余しているわけである。辛口で知られた滋らしい忿懣・不機嫌をうかがわせる句である。昼となく夜となく、ベッドの上で過ごしている病人にとっては、寝る間も惜しんで働く健康な人が羨ましいというか、恨めしい。3月19日の句に「『お食事』とは悲しからずや木の芽どき」がある。わかるわかる。滋は滋酔郎の俳号をもち癌と闘ったけれど、同年8月、62歳で亡くなった。『癌め』(1997)所収。(八木忠栄)


March 1832014

 春の夜の細螺の遊きりもなし

                           大石悦子

螺(きさご)は小さな巻貝。ガラスが出回る前にはおはじきとして使われた。ひとところに撒いた小さな貝を指で弾いて取っていく静かな遊びは、時折自分の影で覆われてしまう。そんなときは、体を傾げたり、位置をわずかに変えたりして、春の灯を従えるようにして遊ぶ。自註現代俳句シリーズの本書は、全句にひとことの自註が添えられる。あとがきには、せっかく苦労して十七音に閉じ込めた俳句に言葉を足す作業をむなしく思ったが次第にそれを楽しんだ、とあり、どの自註も俳句を邪魔することなく、ときには一行にも満たないそっけなさで綴られる。そこには十七音からこぼれ落ちた作者の素顔を見る楽しみがある。掲句に添えられた自註は「ひとり遊びが好きだと言ったら、孤独な人ねと返された」とある。作者にとってそのやりとりを思い出したこともまた喜びのひとつだったかもしれない。『大石悦子集』(2014)所収。(土肥あき子)




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