春はセンバツから。高校野球開幕。時間の許す限りTV観戦。(哲




2014N321句(前日までの二句を含む)

March 2132014

 骰子の一の目赤し春の山

                           波多野爽波

多野爽波は、取り合わせの重要性について、生前、しばしば説いていた。この句は、配合の代表的な佳句。確かに、骰子の目は、一だけ赤い。ただ、そんな些事を俳句にしようなどと、一体、誰が考えたであろう。その部分に、まず、新しさを感じさせる。一方、骰子に配合されるものは、「春の山」である。家の中、骰子の目という小さなモノと、家の外、春の山という拡がりのある空間が結びつけられている。この季語は、他のことばに置き換えることが出来ない。一句は、明るく、めでたさを伝えてくる。『骰子』(昭和61年)所収。(中岡毅雄)


March 2032014

 蒲公英や三つ揃ひ着てヘルメット

                           榮 猿丸

付バイクにでも乗るのだろうか。この頃は三つ揃いの背広姿の人もあまり見かない。例えば建設現場を見にきた重役なら上等そうな三つ揃いスーツにヘルメットという姿はありそう。だけど、そんな重さは蒲公英に似つかわしくない。ここは可憐な蒲公英との取り合わせで、春らしく明るいシーンが似合う。普段はTシャツにジーンズで跨がる原付に今日は三つ揃い。結婚式かパーティーか初出勤か。ヘルメットと三つ揃いのアンバランスが特別な日を感じさせる。その華やいだ気持ちを春の日差しを浴びて輝く蒲公英が引き立てている。丸く愛嬌のある蒲公英は胸元に挿しても似合いそうな。『点滅』(2014)所収。(三宅やよい)


March 1932014

 永すぎる春分の日の昼も夜も

                           江國 滋

月20日頃が春分の日とされる。母からは昔よく、この日を「春季皇霊祭」と聞かされた。戦前はそう呼ばれた宮中行事の一つだったが、今はその名称が語られることもなくなってきた。「自然をたたえ、生物を慈しむ日」と説明されている。知られている通り、滋は食道癌で1997年2月に入院した。入院してからさかんに俳句を作ったが、掲出句は同年3月20日に作られた六句のうちの一句。入院して病気と闘っている者にしてみれば、昼が夜よりも永くても短くても、いずれにせよ永い時間を持て余しているわけである。辛口で知られた滋らしい忿懣・不機嫌をうかがわせる句である。昼となく夜となく、ベッドの上で過ごしている病人にとっては、寝る間も惜しんで働く健康な人が羨ましいというか、恨めしい。3月19日の句に「『お食事』とは悲しからずや木の芽どき」がある。わかるわかる。滋は滋酔郎の俳号をもち癌と闘ったけれど、同年8月、62歳で亡くなった。『癌め』(1997)所収。(八木忠栄)




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