March 222014
手のひらにのるほどの骨春の寺
竹内友子
先週末、彼岸にはすこし早かったが墓参りに行き、お彼岸っていい頃合いにあるよねと当たり前のことを言い合った。お盆と異なり日本独特の行事だというが、真西に沈む太陽に自然に手を合わせるというのも頷ける。そして最近読んだ掲出句を、鶯を聞きながら思った。二十年ほど前に生後ほどなくお孫さんを亡くされた時の句で、第一句集の冒頭に置かれていた数句のうちの一句である。あとがきに、俳句は日記のように私の心に根付いている、とある。作者にとって春の訪れは悲しみの記憶とともにあるが生まれた言葉は、その心情を永遠のものとしてとどめながら生きる力を与えるのだろう。『春時雨』(2014)所収。(今井肖子)
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