白い辛夷の花が咲き、風に揺れている。この花の命も短い。(哲




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March 2332014

 てふてふのひらがなとびに水の昼

                           上田五千石

白い。けれどわからない。しばらくしてから読み返して、春のおだやかさが、明るい無風状態で描かれていることがわかりました。まず、「ひらがなとび」がうまい。「カタカナとび」では鋭角的だし、「漢字とび」は困難。「てふてふ」の羽根が、おだやかな春の空気に乗って、ひらがながもつ曲線を描きながらややぎこちなく通り過ぎています。その場所は「水の昼」です。これも最初はわかるようでわかりませんでした。日常的ではない詩的な言葉遣いです。ただ、しばらくして、このまままっすぐ読んでいけばいいことがわかりました。「てふてふ」は、水の上を飛んでいて、水面にも「ひらがなとび」は反射しています。空中の「てふ」と水面の「てふ」。これは分解しすぎかもしれませんが、読みながら遊べる句です。春を最も感じられる昼、無風の水面を蝶がゆっくり過ぎていきました。『琥珀』(2002)所収。(小笠原高志)


March 2232014

 手のひらにのるほどの骨春の寺

                           竹内友子

週末、彼岸にはすこし早かったが墓参りに行き、お彼岸っていい頃合いにあるよねと当たり前のことを言い合った。お盆と異なり日本独特の行事だというが、真西に沈む太陽に自然に手を合わせるというのも頷ける。そして最近読んだ掲出句を、鶯を聞きながら思った。二十年ほど前に生後ほどなくお孫さんを亡くされた時の句で、第一句集の冒頭に置かれていた数句のうちの一句である。あとがきに、俳句は日記のように私の心に根付いている、とある。作者にとって春の訪れは悲しみの記憶とともにあるが生まれた言葉は、その心情を永遠のものとしてとどめながら生きる力を与えるのだろう。『春時雨』(2014)所収。(今井肖子)


March 2132014

 骰子の一の目赤し春の山

                           波多野爽波

多野爽波は、取り合わせの重要性について、生前、しばしば説いていた。この句は、配合の代表的な佳句。確かに、骰子の目は、一だけ赤い。ただ、そんな些事を俳句にしようなどと、一体、誰が考えたであろう。その部分に、まず、新しさを感じさせる。一方、骰子に配合されるものは、「春の山」である。家の中、骰子の目という小さなモノと、家の外、春の山という拡がりのある空間が結びつけられている。この季語は、他のことばに置き換えることが出来ない。一句は、明るく、めでたさを伝えてくる。『骰子』(昭和61年)所収。(中岡毅雄)




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