東京の開花予想日は26日。この暖かさなら期待できるかも。(哲




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March 2432014

 春風の真つ赤な嘘として立てり

                           阪西敦子

者の意識には、たぶん虚子の「春風や闘志いだきて丘に立つ」があるのだと思う。これはむろん私の推測に過ぎないが、作者は「ホトトギス」同人だから、まず間違いはないだろう。二句を見比べてみると、大正期の自己肯定的な断言に対して、平成の世の自己韜晦のなんと屈折した断定ぶりであることよ。春風のなかに立つ我の心象を、季題がもたらすはずの常識通りには受けとめられず、真っ赤な嘘としてしか捉えられない自分の心中を押しだしている様子は、いまの世のよるべなさを象徴しているかのようだ。しかしこの句の面白さは、そのように言っておきながらも、どこかで心の肩肘をはっている感じがあるあたりで、つまり虚子の寄り身をうっちゃろうとして、真っ赤な嘘を懸命に支えている作者の健気が透けて見えるところに、私は未熟よりも魅力を感じたのだった。「クプラス(ku+)」(創刊号・2014年3月)所載。(清水哲男)


March 2332014

 てふてふのひらがなとびに水の昼

                           上田五千石

白い。けれどわからない。しばらくしてから読み返して、春のおだやかさが、明るい無風状態で描かれていることがわかりました。まず、「ひらがなとび」がうまい。「カタカナとび」では鋭角的だし、「漢字とび」は困難。「てふてふ」の羽根が、おだやかな春の空気に乗って、ひらがながもつ曲線を描きながらややぎこちなく通り過ぎています。その場所は「水の昼」です。これも最初はわかるようでわかりませんでした。日常的ではない詩的な言葉遣いです。ただ、しばらくして、このまままっすぐ読んでいけばいいことがわかりました。「てふてふ」は、水の上を飛んでいて、水面にも「ひらがなとび」は反射しています。空中の「てふ」と水面の「てふ」。これは分解しすぎかもしれませんが、読みながら遊べる句です。春を最も感じられる昼、無風の水面を蝶がゆっくり過ぎていきました。『琥珀』(2002)所収。(小笠原高志)


March 2232014

 手のひらにのるほどの骨春の寺

                           竹内友子

週末、彼岸にはすこし早かったが墓参りに行き、お彼岸っていい頃合いにあるよねと当たり前のことを言い合った。お盆と異なり日本独特の行事だというが、真西に沈む太陽に自然に手を合わせるというのも頷ける。そして最近読んだ掲出句を、鶯を聞きながら思った。二十年ほど前に生後ほどなくお孫さんを亡くされた時の句で、第一句集の冒頭に置かれていた数句のうちの一句である。あとがきに、俳句は日記のように私の心に根付いている、とある。作者にとって春の訪れは悲しみの記憶とともにあるが生まれた言葉は、その心情を永遠のものとしてとどめながら生きる力を与えるのだろう。『春時雨』(2014)所収。(今井肖子)




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