今日は昨日とは反対に本降りの予想。天候の凹凸が激しいな。(哲




2014ソスN3ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 3032014

 葱抜くや春の不思議な夢のあと

                           飯田龍太

は、眠っている間に数回は夢を見ているそうです。しかし、目覚めた後におぼえている夢はせいぜい一つで、それもしばらくすると雲散霧消、跡かたもなく消えてしまいます。掲句の「不思議な夢」とはどんな夢だったのか。誰もが筆舌に尽くし難い夢を見たことがあるでしょう。夢は飛躍するものであり、また省略されるものです。これは、すぐれた俳句と共通します。日頃から句を追究している作者は、夢の中に心ひかれる映像を見たのでしょう。それが何だったのか、「不思議な」としか形容できません。ただ、そんな夢を見た実感はたしかに残っていて、たとえば、映画を観た後に放心状態でエンドロールを眺め続けているようなスクリーンから抜けきれない状態が起床後も続いていて、作者は朝しばらくの間、どこか夢遊病のように過ごしていたのではないでしょうか。しかし、畑に出て葱を抜いて、突然我にかえります。「葱抜くや」は目覚め。夢の余韻をすっぱりと切る初句です。『今昔』(1981)所収。(小笠原高志)


March 2932014

 春雷や暗き茶の間に妻と客

                           渡邊そてつ

子編歳時記の春雷の項に、柔らかな春にはためくのも趣がある、とあり、はためくは、はたたくと同義で鳴り響くことだという。これが春雷か、と認識したのはかなり前だが、あっと思ってから耳を澄ましていても二度と聞こえなかった記憶がある。何回かここに句を引いている『現代俳句全集』(1954・創元社)の第二巻からの一句、六十年前の現代である。子規、虚子、に始まって、爽波、風生、立子、青邨等々見知った名前は多くはなく、総勢百四十二人がそれぞれ三十句〜七十句余りを載せている。掲出句の作者は医学博士とある。この句は<坂の灯の暗くはあれど初桜 ><日に幾度蔵に用ある梅雨の傘 >に挟まれているので、日常の一瞬の景と思われるが、一句だけを読むとそこに物語めいた不思議な艶が感じられる。これが夏の雷であったらおどろおどろしい気がしてしまう、というのは考えすぎか。(今井肖子)


March 2832014

 こつぽりの高さや地虫出でにけり

                           波多野爽波

っぽりは、裏をくりぬいてある下駄。多く、舞妓や女児が用いる。爽波は、若い頃、祇園で蕩尽していたので、舞妓のイメージで作ったのではあるまいか。こっぽりには、少々、高さがある。その高さまで、冬籠もりをしていた地虫が、出て来たというのである。実際に、地虫がこっぽりの高さまで出たというのは、考えにくい。爽波独特のイマジネーションによる産物だと思う。この句、「こつぽり」の語が触発する艶やかなイメージと、「地虫出でにけり」のユーモラスな感覚が重なり合って、瀟洒な一句となっている。『骰子』(昭和61年)所収。(中岡毅雄)




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