気がつけば四月も半ば。まもなく一年でいちばん美しい季節が来る。(哲




2014ソスN4ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1542014

 しがみつく子猫胸よりはがすなり

                           岩田ふみ子

年前、里親募集をしていたお宅で保護されていたのは三毛と白黒の姉妹。350gばかりの仔猫をかわるがわる抱き上げてもふわふわと頼りなく、ひしと胸にしがみつく姿は猫というより虫がくっついているようだった。細い爪をたてて、まるで「このまま連れていって」と言っているような健気な風情になんともいえない哀愁があり、結局二匹とも貰い受けた。猫姉妹はさっさと大人になり、一年でおよそ10倍に成長した。遊び相手がいつでも身近にいるので、それほど人間に甘えてこないところが少しさみしくもあるが、大人だけの暮らしのスパイスとなっているのはたしかだ。仔猫がまだ目が開く前から高いところへと登ろうとする習性は、かつて木の上で生活していた頃の安全地帯が記憶に刷り込まれているためだという。長い歴史のなかで生き残ってきた動物たちの知恵が小さな猫にも活かされている。掲句の仔猫にもどうか必要とされる家族が見つかりますように。『文鳥』(2014)所収。(土肥あき子)


April 1442014

 花びらの転げゆく駅ホームかな

                           大崎紀夫

年の花もおわりだな。そんな一瞬の感慨を覚える場所や時間はひとさまざまだが、作者はそれを駅のホームで実感している。たぶん乗降客の少なくなった昼さがりなのだろう。ふと足元に目をやると、どこからか飛んできた桜の花びらが、風に吹かれて転がっていった。目で追うともなく追っていると、束の間ホームにあった花びらは、やがてホームの下に姿を消していく。どこから飛んできたのか。思わず桜の木を探すように遠くに目をやる作者の姿が想像される。こうやって桜の季節はおわり、あっという間に若葉の美しい日々が訪れてくる。年々歳々同じ情景の繰り返しのなかで、しかし人は確実に老いてゆくのだ。そんなセンチメンチリズムのかけらをさりげなく含んだ佳句だと読めた。『俵ぐみ』(2014)所収。(清水哲男)


April 1342014

 海より低き村より晩鐘春鷗

                           村田 脩

実にはちょっとあり得ない空間です。さらに、七七五の破調が異世界へいざないます。しかし、写生句です。句集では一句前に「行春や落書多き街に雨」があり、この前書が「アムステルダム」です。なるほど、オランダの旅の連作の一つとわかり、「海より低き村」は干拓地でした。わかってみてあらためて、作者がこの場所に立っている驚きが伝わります。海抜0mという感覚は、知識はもとより身体感覚には絶対的な基準値として設定されているはずで、それ以下のマイナス地点は地上ではあり得ないという常識があります。ところで、絵画ならだまし絵とかトリックアートなど、錯視を利用した手法があります。立体なら、荒川修作の「養老天命反転地」のように、遠近法の狂った空間内を歩くことによって平衡感覚を狂わせる作品があります。私もこの類いの空間に遊んだとき、酔いと吐き気に似た頭痛を感じた経験があります。たぶん、人間の空間感覚は、知識と経験に基づいてかなり保守された身体感覚として培われているのでしょう。あらためて掲句を読み返すと、日本の地理的条件ではほとんどあり得ない海抜0m以下の村を、海が見えている地点から見下ろした新鮮な驚きが伝わってきます。教会の晩鐘が下方から広がり届き、音が、海より低い村の実在を伝えています。オランダは海鳥が多いと聞きますが、「春鷗」の語感には欧風を感じます。『破魔矢』(2001)所収。(小笠原高志)




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