さあ、甲子園では阪神広島の首位攻防戦だ。天候が気になるなあ。(哲




2014ソスN4ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2942014

 尺蠖の上に尺蠖渡る朝

                           佐藤日和太

体を屈伸させて移動することから、寸法を計っているように見えるしゃくとり虫。生真面目に移動する姿が愉快で見飽きないが、やはり同じ尺蠖でも足の遅速はあるようだ。あるいは、同じ尺蠖のなかにも丹念に計る派とざっと計る派があって、後者が前者を追い越したのだろうか。追い越す側も大きくまたいで行くわけでもなく、やはりせっせと屈伸しながら乗り越えていったのだろうと思うとなおさら愉快だ。どちらにしても手に汗にぎるレースというより、そのなりゆきを面白く見守っている様子が伝わってくる。ところで尺が長さの単位であることを理解できる世代はどれほど残っているだろう。かくいう私も尺という文字のなりたちが親指と人差し指を広げ、ものを計るかたちからきているとはこのたび初めて知った。実際に人差し指と親指を広げたとき一尺(30.3cm)というわけにはいかない。計ってみると15cm。二回分でちょうど一尺になることが分かった。本日昭和の日にふさわしい知識を得られたように思う。『ひなた』(2014)所収。(土肥あき子)


April 2842014

 すぐ座ると叱られている四月尽

                           長嶋 有

られているのは、たとえば新入社員。与えられた仕事がすむと、すぐに席に戻って座ってしまう。叱る側からすれば、隙あらばさぼろうとしているように見えるから叱るわけだが、新入社員から言わせれば、他に何をしてよいかが分からないから自席で待機するのだということになる。しかし先輩にそう口答えするわけにはいかないので、黙っていると、「少しは気を利かせたらどうだ」とまた叱られる。この「座る」はむろん手抜きにつながる行為の象徴であって、新入社員の一挙手一投足が、とにかく先輩社員のイライラの種になる時期がある。そして、そんなふうに過ごしてきた四月もおしまいだ。昔はここから五月病になる若者も多かったが、最近はどうなんだろう。ああ、私にも覚えがあるが、本当にすまじきものは宮仕えだな。『春のお辞儀』(2014)所収。(清水哲男)


April 2742014

 漫画読む鬚の青年めかり時

                           沢木欣一

かり時は晩春の季語。蛙(かわず)の目借時を縮めた言い方です。蛙が人の目を借りるから春は眠気をもよおすという俗説で、戯画的な季語です。掲句の鬚の青年は、文学青年かアーティスト風か、一見高尚な面立ちながら漫画に集中している、そのギャップに着眼しています。作者は東京芸大の国語教師だったので、後者を揶揄(やゆ)しているのかもしれません。句集発行は昭和58年で、漫画の文化的な価値は日本でも世界でも現在ほど評価されていなかった時代です。だから、アーティスト風情が漫画なんかを読んでいたら蛙に目を持っていかれるぞ、という警告なのかもしれません。しかし、「めかり時」という季語自体が戯画的なので、句全体を晩春の気候のように青年の鬚すらおだやかに包んでいます。なお、句集にはもう一つ「飽食の昭和後代めかり時」があり、こちらはかなり警句的です。『遍歴』(1983)所収。(小笠原高志)




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