青葉若葉の日の光…。美しい五月のはじまりですね。(哲




2014ソスN5ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0152014

 ものを言ふ豚の尻尾や五月晴

                           大谷のり子

尾とは不思議なものだ。動物の感情表現なのだろうが、尻尾を振っているからと言って歓迎されているとは限らない。犬などは、恐怖のあまり近づくなと言っているときもあって、その場合はたいてい頭を低く構えて戦闘体制に入っており、手を出せばガブッとやられる。くるくるっとかわいらしく巻いた短い尻尾を持つ豚の場合は噛むなんてことはないだろうが、やっぱり嬉しいときに尻尾を振るのだろうか。言葉を持たない動物が気持ちを伝える健気な尻尾。養豚場でひしめくように飼われている豚しか見たことがないけど、放し飼いにされている豚もいるようで、そんな豚たちが良く晴れた草原を短い尻尾を振りながら寄ってくる様を想像すると、気持ちがいい。『豚の睫毛』(2013)所収。(三宅やよい)


April 3042014

 春雨や物乞ひどもと海を見る

                           横光利一

乞ひども、などという言葉遣いは、今日ではタブーであろう。「二月二十八日、香港」という前書きがあるから、かの国の「物乞ひども」であろう。利一は1936年から半年間ヨーロッパへ旅行した。途中、香港に寄っている。その時代にかの国の「物乞ひ」たちに向けられた、日本の作家の一つの態度がうかがえるようである。まだ冷たい春雨に降りこまれ、旅の無聊を慰めるように九龍の浜から、香港島を望んで目の前に広がる海をぼんやり眺めているのだろう。どこかしら心が沈んでいて、不安な気持ちが読みとれるようだ。これからヨーロッパへ向かうというのに、今の自分は「物乞ひども」といったいどれだけちがうというのか。二日前に日本で起きた「二・二六事件」のことは台湾で知ったらしい。事件のことも頭にあって、香港の海を前に茫然自失しているのかもしれない。このヨーロッパ旅行から帰国して書いたのが、代表作「旅愁」だった。俳句をたくさん残した利一が、やはり物乞いを詠んだこんな句もある、「物乞ひに松の粉ながれやむまなし」。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


April 2942014

 尺蠖の上に尺蠖渡る朝

                           佐藤日和太

体を屈伸させて移動することから、寸法を計っているように見えるしゃくとり虫。生真面目に移動する姿が愉快で見飽きないが、やはり同じ尺蠖でも足の遅速はあるようだ。あるいは、同じ尺蠖のなかにも丹念に計る派とざっと計る派があって、後者が前者を追い越したのだろうか。追い越す側も大きくまたいで行くわけでもなく、やはりせっせと屈伸しながら乗り越えていったのだろうと思うとなおさら愉快だ。どちらにしても手に汗にぎるレースというより、そのなりゆきを面白く見守っている様子が伝わってくる。ところで尺が長さの単位であることを理解できる世代はどれほど残っているだろう。かくいう私も尺という文字のなりたちが親指と人差し指を広げ、ものを計るかたちからきているとはこのたび初めて知った。実際に人差し指と親指を広げたとき一尺(30.3cm)というわけにはいかない。計ってみると15cm。二回分でちょうど一尺になることが分かった。本日昭和の日にふさわしい知識を得られたように思う。『ひなた』(2014)所収。(土肥あき子)




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