May 052014
子を発たす立夏の駅の草の丈
石井直子
今日は「立夏」。子を「発たす」とあるから、遠くの地に行く子を、駅まで見送っている母親の句だ。この時季だから、おそらく大型連休を利用して帰省していた子が、普段の生活の場に戻っていくのだろう。新入社員かもしれないし、大学生かもしれない。べつに永の別れではないのだから、「見送りなんて大袈裟だよ」くらいは言われたろうが、そうもいかないのが母心である。私の勤め人時代の同僚も、そんな母親を持っていた。今度子が戻ってくるのは、夏季休暇のときだ。日頃は気にもとめない「駅の草」に気がついた作者は、次に会えるときにはこの草の丈もずいぶんと伸びているだろうと、早くもその日を待ちかねているようだ。この「丈」は子供の生長の様子にかけられていて、夏めいてきた季節の明るい別れにふさわしい発語と言えるのでなかろうか。『新版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男)
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