「日常」が戻ってくる。両手に抱えきれないほどのお土産持って。(哲




2014ソスN5ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0752014

 チューリップ明るいバカがなぜ悪い

                           ねじめ正一

ューリップは春の季語だけれど、四月から五月にかけて色とりどりに咲き出す。バカにも「明るい」と「暗い」があるのか、正一さん?ーー確かにあるのだ。「明るいバカ」と言われて、私などがすぐ連想するのは「アホの坂田」であり、落語の与太郎さんである。落語の与太郎はなくてはならないキャラクターである。その明るいバカさ加減はどうにも憎めない。単なるバカというよりも人間の虚をついたり、常識を皮肉ったりと、バカにできない面があって一筋縄ではおさまらないおバカさんである。正一がここで詠む「バカ」に私は、チューリップのように明るい落語の与太郎さんを連想せずにはいられない。暗い陰湿なバカは願い下げである。(ホラ、そういうバカが世間に時々顔を出すではないか。)下五「なぜ悪い」に居直った様子がうかがえる。即ち、ワタシばかノ味方デス。掲句は田島征三の絵と組み合わさっている最新の絵本『猫の恋』(2014)のなかの一句。まちがいなく元気の出る絵本です。他に「ビリビリっと尻尾の先まで猫の恋」など、正一らしい楽しい句と絵十五組が収められている。まともな句は一つもない(?)という凄まじさ。帯の惹句に「絵と俳句のごっつんこ」とある。(八木忠栄)


May 0652014

 虎が一匹虎が二匹虎が三匹藤眠る

                           金原まさ子

の花の美しさは、古くから日本人をとりこにし「万葉集」では26首に見られる。満開の藤が盛大に懸け垂れるなかに立てば、その円錐形が天地をまどわし、甘い香りとともにめまいを覚えるような心地となる。その美しさは蔓で他者に支えられており、それはあらゆるものに巻き付き、食い込み、枯れ果てるまで締め上げるという残酷な側面を持つ。掲句では、唐突に登場した虎が最後になって眠れない夜に数える羊のかわりであることがわかる。藤の生態の獰猛さを思えば、おとなしく穏やかな羊ではまるでもの足りないというのだろう。肩をいからせ、舌なめずりをしながらたむろす虎を想像しながら藤はうっとりと眠りに落ちる。紫の藤の下に黄色と黒のビビッドな虎が一匹、二匹そして三匹。あなたなら眠れますか?『カルナヴァル』(2013)所収。(土肥あき子)


May 0552014

 子を発たす立夏の駅の草の丈

                           石井直子

日は「立夏」。子を「発たす」とあるから、遠くの地に行く子を、駅まで見送っている母親の句だ。この時季だから、おそらく大型連休を利用して帰省していた子が、普段の生活の場に戻っていくのだろう。新入社員かもしれないし、大学生かもしれない。べつに永の別れではないのだから、「見送りなんて大袈裟だよ」くらいは言われたろうが、そうもいかないのが母心である。私の勤め人時代の同僚も、そんな母親を持っていた。今度子が戻ってくるのは、夏季休暇のときだ。日頃は気にもとめない「駅の草」に気がついた作者は、次に会えるときにはこの草の丈もずいぶんと伸びているだろうと、早くもその日を待ちかねているようだ。この「丈」は子供の生長の様子にかけられていて、夏めいてきた季節の明るい別れにふさわしい発語と言えるのでなかろうか。『新版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男)




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