今年は紙の本の購入を控えている。電子書籍のほうが多い。(哲




2014ソスN5ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1852014

 松が枝をくぐりて来たり初扇子

                           桂 信子

客を詠んだ句でしょうか。そうならば、挨拶句と言えそうです。俳句は短い形式なので、句の中にドラマを盛り込むことは簡単ではありません。掲句にもドラマ性はありませんが、来客の身体の動きは伝わります。これが、「松が枝」を舞台にして「扇子」を持って舞う踊り手のような印象を与えています。一句が地唄舞の歌詞のようになっていて、松が枝をくぐり抜けてこちらへやって来る所作はたをやかです。この粋客は、たぶん着物に白足袋、草履をはいて、扇子を手にしています。ところで、日本舞踊の修練は、日常の立居振舞を洗練することにあり、同時にそれが目的であると聞き及んでいます。その身体は屈んだり、畳んだり、折り込んだりする仕舞いの動作で、西洋のバレエダンサーが天に向けて身体を開くのとは対照的な、内へと向かう所作です。そうならば、扇子を手にするということは、折り畳み、仕舞い込む品性を持つことの象徴とも考えられます。掲句の粋客は、作者にとって、今年初めて目にする扇子を手にしています。初夏を運ぶ客に対する挨拶句と読みました。『樹影』(1991)所収。(小笠原高志)


May 1752014

 修道女薔薇みることもなくて過ぐ

                           青柳志解樹

豆高原の自営の薔薇園で自ら撮影した薔薇の写真と、八十余名の作家の薔薇の句を集めた『薔薇の俳句1000句& PHOTOGRAPHS of THE ROSES』(2001・みちのく発行所)の前書きによると、近代の薔薇は「人間の愛情に応え、人間社会に歩みよって来た」のだという。薔薇を慈しみ育て続けていた著者の言葉は、薔薇は咲き誇るもの、といった先入観を取り払ってくれる。そんな薔薇のひたむきな美しさに立ち止まることもなく修道女は通り過ぎる。みることもなくて、の軽い切れに、この句の作者の薔薇への視線が修道女に向けられた一瞬が感じられる。その瞬間、修道女の視線も薔薇をとらえて、薔薇の輝きに心が動いたことだろう。(今井肖子)


May 1652014

 青あらし電流強く流れをり

                           波多野爽波

嵐は、青葉の茂ることに吹く強い風。電線が風に揺られるくらいの風だったのだろう。しかしながら、爽波は電線の描写などはしない。目に見えない「電流」を描写する。この句「青嵐/電流」までで、すでにひとつの情景は描かれてしまっている。それに「強く流れをり」とダメ押しをする。「青嵐」と「電流」がぶつかり合って、火花を散らし合うような激しさを持った一句である。『一筆』(平成2年)所収。(中岡毅雄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます