新祝日「山の日」の制定で、祝日のない月は六月だけになる。(哲




2014ソスN5ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2452014

 鎧戸の影白靴を放り出す

                           内村恭子

の鎧戸は、掃き出し窓のようなところの鎧戸だろう。休暇中の作者は本を読むのにもちょっと飽きて、目の前の海まで散歩に行こうかと立ち上がる。鎧戸の影は縞々、そこに白靴をぽんと投げると、白靴にも縞々の影ができる。ただそれだけなのだが、白靴の一つの表情に小さな詩が生まれていることに気づく作者なのだろう。鎧戸と白靴という二つの素材が、作為の無い景としてくっきりと切り取られている。同じ句集『女神』(2013)に<白靴を踏まれ汚れただけのこと>という句もある。美しい眉をひそめて相当むっとしている作者の様子が目に浮かぶが、お気に入りの白靴があるのかもしれない。(今井肖子)


May 2352014

 ちぎり捨てあり山吹の花と葉と

                           波多野爽波

祇に「山吹や葉に花に葉に花に葉に」の句がある。山吹の花が咲いている様子を描写したものだ。爽波の句は、太祇の句を思い出させるが、情景は全く異なっている。爽波の句は山吹の花と葉が、ちぎり捨ててある情景を詠っている。意味的には、「山吹の花と葉とちぎり捨てあり」だが、定型に収まるように、倒置法を用いている。前半の「ちぎり捨てあり」で一呼吸休止して、「山吹の花と葉」がおもむろに提示される。爽波写生句の代表作である。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)


May 2252014

 初夏やきらめくわたしのフライ返し

                           関根誠子

ライ返し!日々使うことはあってもその存在自体まじまじと意識したことはない。お玉や菜箸と並んで壁に吊り下げられて出番を待っている金属のへらが初夏の光を受けてきらめいている。普段は気にも留めないフライ返しの輝きに、はっとした作者の気持ちが伝わってくる。玉子焼をひっくり返して、チャーハンを炒めてと、フライ返しは家族の食事を作るのに欠かせない道具。そう思えばほかの誰でもない「わたしの」と強調したい気持ちが同じ主婦としてよくわかる。生活の一部になっているものを季節の訪れとともに、見返して愛おしむこともこの詩形ならではの働き。ただごとに終わるか、新鮮な発見になるかは紙一重だろうが、一瞬の心の動きと愛情が読み手に伝われば十分ではないか。『浮力』(2011)所収。(三宅やよい)




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