阪神。勝ったり負けたりならまだしも「負けたり勝ったり」ではね。(哲




2014ソスN5ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2952014

 風に落つ蠅取リボン猫につく

                           ねじめ正也

取リボンとは懐かしい。私が小さい頃は魚屋の店先にぶら下がっていた。同句集には「あきなひや蠅取リボン蠅を待つ」という句も並んでいる。あの頃、生ごみは裏庭に掘った穴に放り込んでいた。昼間でも暗い台所には蠅が多かった気がする。頭のまわりをうるさく飛び回っていたあの蠅達はどこへ消えたのだろう。それにしても「蠅取リボン」という名前自体が俳諧的である。真っ黒になるぐらいハエのついた汚いものをリボンと呼ぶのだから。風に翻ったハエ取りリボンが落ちて昼寝をしていた猫の背中につく。身をくねらせてリボンをとろうとするがペタペタペタペタリボンは猫の身体にまとわりつき猫踊りが始まる。追い立てられてリボンを巻きつけたまま外へ飛び出してゆく猫。そんな路地の1コマが想像される句である。『蠅取リボン』(1991)所収。(三宅やよい)


May 2852014

 大いなる雲落ち来る夏野かな

                           会津八一

の晴れあがった日の平野部。見渡すと東西南北ぐるりとまんべんなく彼方に、雲がもくもく盛りあがっている。視界いっぱいの夏だ。白い雲が鮮やかにまぶしく湧いているぶんには結構だけれど、それがにわかに黒雲に変貌したりして、突然冷ややかな風が起こってくると、昨今の気象は雹が降ったり、雷雨や竜巻が発生したりして油断ができない。「大いなる雲」はぐんぐん盛りあがっていたかと思うと、大瀑布が襲いかかるように、夏野にかぶさるように、容赦なく天から「落ち来(きた)る」というのだ。まさに「落ち来る」。高く広々とした夏野のダイナミズムに、圧倒されるようである。それまで夏野に散らばっていた人びとは、あわてて走り出しているのかも知れない。こんな光景を前にしたら、書家・八一先生は「雲」という文字をどんなふうに書きあげただろうか、と妙な興味をそそられる。まさに「大いなる」句姿である。掲句と並んでいて対になるような句「白雲の夏野の果てや村一つ」は、同じときの作かと思われる。『新潟県文学全集』第II期6(1996)所収。(八木忠栄)


May 2752014

 抱く犬の鼓動の早き薄暑かな

                           井上じろ

夏の日差しのなかで、愛犬と一緒に駆け回る楽しく健康的なひととき。本能を取り戻した犬の鼻はつやつやと緑の香りを嗅ぎわけるように得意げにうごめき、心から嬉しそうに疾走する。それでもひとたび飼い主が呼び掛ければまっしぐらに戻ってくる。ひたむきな愛情表現を真正面から受け止めるように抱き上げてみれば、薄着になった身体に犬の鼓動がはっきりと伝わってきたのだ。それが一途に駆けてきたことと、飼い主と存分に遊べることの喜びで高鳴っているためだと理解しつつ、思いのほか早く打つ鼓動が、楽しいだけの気分に一点の影を落とす。一生に打つ鼓動はどの動物でも同じ……。この従順な愛すべき家族が意外な早さで大人になってしまう事実に抱きしめる腕に力がこもる。〈たわわなる枇杷ごと家の売り出さる〉〈単身の窓に馴染みの守宮かな〉『東京松山』(2012)所収。(土肥あき子)




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