ああ、五月も行ってしまうのか。どくだみの花真っ盛り。(哲




2014ソスN5ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 3152014

 涼しくていつしか横に並びけり

                           西村麒麟

我が家のピクチャーレールには<縁柱細り涼風起りけり>(星野立子)の軸がかかっている。渋い紫の表装、さらりと書かれた句中の、涼風、は見るからに涼しく気持ちがよいので夏はこれをかけて過ごしているが、墨で書かれた文字は表情があり味わい深い。梅雨入り前のこの時期、夏の涼しさを感じるにはまだちょっと早いかもしれないが、日ごと育つ緑を見ていると、清々しい涼風が吹き抜ける掲出句を思う。涼し、にこんな表情を持たせた句を他には見たことがなく、この句を思い出すたびに作者の幸せを心地よい余韻として感じるのだ。向かい合って両手をつないで見つめ合っているより、横に並んで同じ方を見ながら片手をつないでいる方が幸せは続く、そんな言葉があったな、などとも。『鶉』(2013)所収。(今井肖子)


May 3052014

 大空は微笑みてあり草矢放つ

                           波多野爽波

胆な擬人法である。「大空は微笑みてあり」だから、晴れ渡った空だったのだろう。あと、草矢遊びに興じている子供の心情まで、喩えているように思う。「草矢」は芒や葦などの葉を縦に裂き、指に挟んで、飛ばすこと。高さや飛んだ距離を競ったりする。この句、下五の部分が、「クサヤハナツ」と一音字余りになっている。その一音の時間の流れが、飛んでいく草矢の時間を彷彿させる。『鋪道の花』(昭和31年)所収。(中岡毅雄)


May 2952014

 風に落つ蠅取リボン猫につく

                           ねじめ正也

取リボンとは懐かしい。私が小さい頃は魚屋の店先にぶら下がっていた。同句集には「あきなひや蠅取リボン蠅を待つ」という句も並んでいる。あの頃、生ごみは裏庭に掘った穴に放り込んでいた。昼間でも暗い台所には蠅が多かった気がする。頭のまわりをうるさく飛び回っていたあの蠅達はどこへ消えたのだろう。それにしても「蠅取リボン」という名前自体が俳諧的である。真っ黒になるぐらいハエのついた汚いものをリボンと呼ぶのだから。風に翻ったハエ取りリボンが落ちて昼寝をしていた猫の背中につく。身をくねらせてリボンをとろうとするがペタペタペタペタリボンは猫の身体にまとわりつき猫踊りが始まる。追い立てられてリボンを巻きつけたまま外へ飛び出してゆく猫。そんな路地の1コマが想像される句である。『蠅取リボン』(1991)所収。(三宅やよい)




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