2014N6句

June 0162014

 麦刈りのあとうすうすと二日月

                           正木ゆう子

西欧は麦の文化で、東洋は米の文化。これは、乾燥した気候と湿潤な気候風土によって形成された食文化の違いでしょう。麦は畑作で、米は水田耕作。田んぼは水を引くので、保水地帯として森を残しておく必要があり、これが生態系に配慮された里山を形作っていました。一方、麦畑はそれほど保水を必要としないので、森を切り開いて畑を拡大していきました。産業革命以降、西欧の農地がすばやく工場に転換できた理由の一つは畑作だったからであるという考え方があり、一理あるかなとも思います。現在、小麦の国内自給率は10%台で、生産地は西欧の気候に似た北海道が中心となっています。さて本題。掲句の舞台はわかりませんが、広大な麦畑を空へと広げて読めそうです。「麦刈りのあと」なので、刈られる前と後の光景を比較できます。刈られる前、麦は子どもの背の高さくらいまで実っていたのに、刈られた後は根元が残っているだけ。しかし、刈られた後には何もない広大な空間が生まれました。空間が広がったぶん、二日月は、より一層研ぎ澄まされて鎌の刃のような鋭い細身を見せています。それは、かつて鎌が麦の刈り取りに使われていたことを暗示していて、麦が刈り取られてできた地上の空間の上に、鎌の刃のような二日月が空に輝く光景は、超現実主義の絵画のようです。暖色系の色合いも含めて「菜の花や月は東に日は西に」(蕪村)に通じる地上から天上にわたる実景ですが、一面の菜の花とは違って、刈り取られた空間と二日月には、欠落した美を創出しようとする作者の意図があると読みました。そう思って読み返すと、「うすうす」が効いています。『夏至』(2009)所収。(小笠原高志)


June 0262014

 国家とは国益とはと草を引く

                           大元祐子

二次安倍内閣になってから、やたらと「国家」「国益」の文字を目にするようになった。政治家が「国家」「国益」を考えるのは当然だが、安倍内閣の場合は、ことさらに危機感を煽りつつ喧伝するので始末が悪い。草を引きながらも「国家」「国益」とは何かと、つい自問してしまうほどである。とはいっても、作者はここでその回答を求めているのではないだろう。引いても引いても生えてくる雑草のように、この自問が繰り返し現れてきてしまうというわけだ。つまり、草取りのような労働にあって、同じように果てしのない回答なしの自問を繰り返すとき、草取りという労働のルーティン・ワーク性がより鮮明になってくるのである。子供の頃の畑の草取りは辛かった。そんな私がこの句を読むと、暑い日差しに焼かれながら、いつも回答のない自問を繰り返していたことを思い出す。『新現代俳句最前線』(2014)所載。(清水哲男)


June 0362014

 風薫るこれからといふ人生に

                           今橋眞理子

薫るとは、青葉若葉を吹き抜けるすがすがしい季語である。初夏の茶席によく掛けられる軸「薫風自南来」の出典は皇帝と詩人のやりとりのなかで生まれた漢詩だが、のちに禅語として取り上げられたことで、一層の涼味が加わった。黒々とした字配りと禅語風の「くんぷーじなんらい」という調子は、目にし、口にするだけで執着やわだかまりから解放されるような心地になる。掲句はこれから新しい一歩を踏み出す背中へ向けたエールである。この世の美しいものだけに触れながら通う風は、光りに満ち、未来に向かって吹き渡るのにもっともふさわしいものだろう。日々のなかで悩んだり、迷ったりしても、風薫る季節がいつでも初心を思い出させてくれる。本書のあとがきに「偶然が意味を持つ時、それは運命となる」とある。運命の扉はいつでも開かれるのを待っている。『風薫る』(2014)所収。(土肥あき子)


June 0462014

 夏衣新仲見世の午下り

                           北條 誠

のごろの夏の衣服は麻やジョーゼット(うすもの)をはじめ、新しく開発された繊維がいろいろと使われて、清涼感が増してきている。かつての絽、紗、明石、縮緬などは、いずれも軽くて涼しいものだ。「夏服」ではなく「夏衣」というから、ここでは和服であろう。いかにも浅草である。にぎやかな仲見世通りとちがって、そこに交差するむしろ幾分ひんやりとした通りである。昼下りののんびりとした新仲見世通りの静けさを、夏衣に下駄履きのお人が、軒をならべる店をひやかしながら歩いているのだ。お祭りどきの浅草は、路地にも人が入りこんでごった返してにぎやかだが、ふだんは静かで睡気を催したくなるような空気が流れている。新仲見世と言えば、老舗「やげん堀」本店の七味唐辛子。浅草へ行ったら、私は必ずここに立ち寄って好みの辛さを調合してもらうことにしている。また、お向かいの「河村屋」の玉ネギのたまり漬けなどは珍しくて、おいしさもこたえられない。浅草でひとりちびりちびりやる昼酒……おっと、横道へ入りこんでしまいそう……。誠の句に「永代の橋の長さや夏祭」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


June 0562014

 優曇華やかほのなかから眠くなり

                           鴇田智哉

りにいつ陥るのか。その瞬間を見届けたいと思いつつ、寝かけたと意識した時には目覚めてしまうのがもどかしい。寝付きは自分でコントロールできないので、不眠症になると起きる時間を整えながらリズムを作るしかないという。掲句では眠気が「かほのなかから」やってくるというフレーズが魅力的だ。ぼんやりとした眠気と、柄を伸ばした優曇華の不思議な形状がほのかに通じ合う。眠気が結実すると柄の先の白い卵から夢が生まれる。優曇華にだぶらせて、言葉にできない感覚を言い当てている。掲句のような俳句を生み出すのに、作者は四六時中感覚のアンテナを張り巡らせて言葉への変換を意識していることだろう。ぼんやりした感覚を言葉で捉えるのにぼーっとしていてはダメなのだ、きっと。『こゑふたつ』(2005)所収。(三宅やよい)


June 0662014

 美しやさくらんぼうも夜の雨も

                           波多野爽波

置法である。本来ならば、「さくらんぼうも夜の雨も美しや」となるところである。爽波は、まず、「美しや」と主観を強調する。さくらんぼのつやつやした美しさはもちろんのことだが、夜の雨が美しいというのは、個性的な感覚を感じさせる。土砂降りではなく、しとしとと、降っていたのであろう。「……も……も」の繰り返し表現が、ぽたぽた落ちる雨だれのようにひびいてくる。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)


June 0762014

 蛇のあとしづかに草の立ち直る

                           邊見京子

どもの頃は夏になると青大将が道を横切るのが当たり前だったが、長じてからは数えるほどしか出会っていない蛇。先日都内の庭園で後ろから、そっちへ今行くと蛇がいますよ、と声をかけられ、ありがとうございます、と走って行き久々遭遇したが、変な人と思われたに違いない。夏草の茂っている中で蛇に会った記憶はそうないが、いつも去っていく気配を見送るという感じだった。この句の作者も、そんな蛇の後姿をしばらく見ていたのだろう。たった今蛇が通った跡の草は蛇の進んだ方向へやや傾ぎながら倒れている。さらに見ていると、一瞬の強い力で踏まれたのとは違い、草はすぐしなやかに立ち直って風に揺れ始める。作者の視線もまた、確かでありしづかである。『俳句歳時記・夏(第四版)』(2007・角川書店)所載。(今井肖子)


June 0862014

 紫陽花や私の知らぬ父がいる

                           田頭理沙

らぬ間に、紫陽花(あじさい)を目にする季節になりました。梅雨どき、青空が見えない日でも青紫の色あいを見せて楽しませてくれます。紫陽花の咲き方は突然の来訪者に似ていて、気づいたら賑やかに路傍の座を占めています。七変化、手まり花、四ひら花など、呼ばれ方も多様なところは愛でられている証しです。作者田頭さんは、当時愛媛県伯方高校の二年生。父親との距離は微妙な多感な時期です。それゆえ句は切れていて、スーッと入ってきて、サッパリとした読後感があります。一般的に、父と娘は包み包まれる関係から出発します。娘からすれば父に従属している関係で、それは、父親という大きな揺り籠に抱かれているような揺籃期です。しかし、思春期に入ると、娘は揺り籠から外に出て、父親を距離のある他者として捉えはじめます。つまり、親子関係から、人生の先輩と後輩の関係へ、または、最も身近な男性として観察の対象となっていく時期にさしかかります。子どもが成長するときは、知らなかった経験をするときですが、田頭さんは、父を通して未知の社会と性差を感受しているのではないでしょうか。それは、紫陽花が七変化するように自身を幻惑させています。同時にそれは、私の知らぬ私との出会いでもあるでしょう。紫陽花は、思春期のとまどいを象徴する花として、人生の初夏に向かって生きる青春を詠んでいます。「私の知らぬ」で切れているところに、娘と父の距離が示されています。『17音の青春 2012』所載。(小笠原高志)


June 0962014

 梅雨冷えや指にまつはるオブラート

                           佐藤朋子

薬がカプセルに入れられるようになってから、あれほど普及していた「オブラート」を見かけなくなった。若者だと、知らない人のほうが多いかもしれない。「デンプンから作られる水に溶けやすい半透明の薄い膜のこと」などと説明しても、イメージがわいてくるかどうか。梅雨時に身体をこわしている作者は、苦い粉薬を飲もうとしている。いつものように何気なくオブラートを箱から取りだして薬を包もうとしたら、指にからみついてきてうまく広げられない。室温が低いために、オブラートが指の温度に敏感に反応したわけだ。ただそれだけの些事を詠んでいるのだが、このことがこのときの「梅雨冷え」の様子を具体的に告げていて、印象的な句になっている。ちなみに、「オブラート・oblaat」はオランダ語だそうである。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


June 1062014

 サイダーや泡のあはひに泡生まれ

                           柳生正名

国清涼飲料工業会が提供する「清涼飲料水の歴史」によると、日本に炭酸飲料が伝えられたのは1853年、ペリー提督が艦に積んでいた炭酸レモネードを幕府の役人にふるまったことから始まる。その際、栓を抜いたときの音と吹き出す泡で新式銃と間違えた役人が思わず腰の刀に手をかけたという記述が残る。その後、喉ごしや清涼感が好まれたことで一般に広く普及した。掲句ではかつての役人が肝を冷やした気泡に注目する。それは表面に弾ける泡ではなく、コップのなかで生まれる泡の状態を見つめる。泡はヴィーナス誕生の美しさとともにうたかたであることのあわれをまとい、途切れなく、そして徐々に静まっていく。〈切腹に作法空蝉すぐ固く〉〈少年も脱いだ水着も裏返る〉『風媒』(2014)所収。(土肥あき子)


June 1162014

 月山の水に泳げや冷奴

                           丸谷才一

と水と冷奴ーー文字づらからして、涼味満点と言っていい夏の句である。敢えて「夏は冷奴にかぎる」と、この際言わせてもらおう。月山の名水に月のように白く沈む冷奴は、いかにもおいしそうである。詞書に「うちのミネラル・ウォーターは『月山ブナの水音』といふ銘柄」とあるから、作者が愛飲していた故郷の水であろう。月山を源流とする庄内の立谷沢川は“平成の名水百選”であり、水も冷奴もいかにもおいしそうだ。「泳げや冷奴」とは「泳げや才一」という、自身への鼓舞の意味と重ねているようにも私には思われる。才一は山形県鶴岡出身の人。ここでは名水を得て泳ぐ冷奴が喜々としているように映る。そういえば、山形で私も何度か食べた豆腐は、冷奴に限らずいつもおいしかった記憶が残っている。水が上等だから豆腐もおいしいわけである。掲句は第一句集『七十句』に継ぐ遺句集『八十八句』(2013)に収められている。長谷川櫂の選句により、104句が収められた非売品。才一の俳号が「玩亭」だったところから、墓碑銘も「玩亭墓」。他に「ばさばさと股間につかふ扇かな」の句がある。(八木忠栄)


June 1262014

 梅雨寒し忍者は二時に眠くなる

                           野口る理

よいよ梅雨本番だけど、今年は暑くなったり寒くなったり気温の乱高下に悩まされている。梅雨に入ってからも油断はできない。真夜中の2時は俳句によく使われる時間でもある。ツイッターやオンラインゲームで夜中の遊び相手も不自由のないこの頃では昔ほど夜更けまで起きている孤独感は薄れてきているだろうが、草木も眠る丑三つ時である時間帯であることには変わりはない。寝ずの番をしているのか、天井に張り付いて座敷の様子をうかがっているのか、緊張状態にあるべき忍者が二時に眠くなると断定で言い切ったところがこの句の魅力だ。しとしと降り続く雨音が子守歌なのか、うとうとしてしまう忍者がなんだかおかしい。ユーモラスなイメージとともに心地よい音の響きとリズムも素敵だ。『しやりり』(2013)所収。(三宅やよい)


June 1362014

 白靴の中なる金の文字が見ゆ

                           波多野爽波

事になるが、生前、八十代の阿波野青畝が、祝賀会に白靴を履いて来ていたのを思いだす。白靴は汚れやすいので、通勤などには不向きである。しかしながら、夏になって、いかにも涼しげな白靴を履いていると、お洒落な感じがする。そんな白靴に金の文字が入っていたのが目にとまった。金の文字は、白靴を更に瀟洒なものに見せている。作者の審美眼を感じさせる作品である。『鋪道の花』(昭和31年)所収。(中岡毅雄)


June 1462014

 梅雨の花林にしろく野にしろし

                           水原秋桜子

日、梅雨時の日差は白いですね、と言われなるほどと思った。曇っていても、本来は強い夏の太陽の存在が梅雨雲の向こう側に感じられる。そして、山法師、梔子、など木に咲く花から、群れて明るい十薬や雨に重たげな蛍袋など、白い花も目につく。自然の白は豊かで優しく、掲出句もそんな花の色の句のはずが、しろく、しろし、とひらがなで重ねると強く、どこか穏やかかならざりしの感があるなと思いながらいろいろ見ていると『秋櫻子俳句365日』(1990)に載っていた。六月の項の著者有働亨氏は、掲出句の前にある<人ふたりへだつ林や梅雨の蝶 >の前書「石田波郷君は東京療養所に、山田文男君は清瀬病院にあり」を引いて「(この重複した表現は)病弟子二人を思う秋櫻子の晴れやらぬ心の韻律」と述べている。そういう背景を思いながら読み返すと、作者の後姿とその目の前で無垢な白が濡れているのが見えてくる。句集『霜林』(1950)所収。(今井肖子)


June 1562014

 蚤虱馬の尿する枕もと

                           松尾芭蕉

(のみ)虱(しらみ)馬の尿(しと / ばり)する枕もと。『奥の細道』の途上、南部道、岩手の里、鳴子温泉から尿前(しとまえ)の関にさしかかった時の句です。この地名をもとに、古くから「尿」を「しと」と読む本が多く流布しています。ところが、最近の「俳句かるた」では「ばり」と読ませています。この一語の読み方で、鑑賞が多少変わるかもしれません。例えば麻生磯次の『笑の研究』(東京堂)では「しと」と読み、山番の貧家に泊まった時の実景として捉えています。蚤虱にせめられて安眠できず、枕元では馬が尿をするという悲惨な体験を詠んでいるが、この句からはそれほど悲惨な感じはでてこなく、むしろこの人生を肯定した悟性的な笑いである、としています。一方、雲英末雄の『芭蕉全句集』(角川ソフィア文庫)では、自筆本に「バリ」とふりがながあることを示し、また、『曽良旅日記』にも「ハリ」とふりがなしているので、私は「ばり」説をとります。なお、松隈義男の『おくのほそ道の美をたどる』(桜楓社)によると、この地方の方言で、人間の場合は「しとする」と言い、畜類の場合は「ばりこく」という用例があると述べていることも「ばり」説を後押しします。さて、掲句前の一文には、「三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す」とありますが、曽良日記をもとにすると実際は庄屋の家に一泊だけの宿泊だったことから考えても、「蚤虱」は実景というよりも虚構性の強い作といえるでしょう。私は、「蚤虱」のmi音の韻に、小さな生き物の存在を託し、「尿」bariという破裂音に、馬という大きな動物の存在を示したと読みます。それを枕元で耳にしている芭蕉の設定は、確かにおだやかな境地であったと捉えることができます。また、微小な存在から大きく強烈な存在へと飛躍させるデフォルメは、ギャグ漫画の手法にも似ていて、詩人は、創作意欲を存分に発揮しています(小笠原高志)


June 1662014

 夏帽子肘直角に押さへをり

                           梶川みのり

が強いので、飛ばされないように手で帽子を押さえている。それだけのことを詠んでいるのだが、「肘直角に」が効いている。すらりと伸びた白い腕が、風のなかでしなやかに、しかも直角に位置していて、何気ない仕種にもかかわらず、健康的で伸びやかな若い女性のありようを一言で言い止めている。作者は女性だが、この視点はむしろ男のそれかもしれない。いずれにしても、ほとんどクロッキー風と言ってよい描写の的確さに、心地よい読後感が残った。句全体に、気持ちの良い夏の風が吹いている。『新現代俳句最前線』(2014)所載。(清水哲男)


June 1762014

 でで虫の知りつくしたる路地の家

                           尾野秋奈

で虫、でんでん虫、かたつむり、まいまい、蝸牛。この殻を背負った生きものは、日本人にとってずいぶん親しい間柄だ。あるものは童謡に歌われ、またあるものは雨の日の愛らしいキャラクターとして登場する。生物学的には殻があるなし程度の差でしかないナメクジの嫌われようと比較すると気の毒なほどだ。雨上がりをきらきら帯を引きながらゆっくり移動する。かたつむりのすべてを象徴するスローなテンポが掲句をみずみずしくした。ごちゃごちゃと連なる路地の家に、それぞれの家庭があり、生活がある。玄関先に植えられた八つ手や紫陽花の葉が艶やかに濡れ、どの家もでで虫がよく似合うおだやかな時間が流れている。〈クロールの胸をくすぐる波頭〉〈真昼間のなんて静かな蟻地獄〉『春夏秋冬』(2014)所収。(土肥あき子)


June 1862014

 梅雨樹陰牡猫が顔を洗ひ居り

                           木山捷平

が顔を洗うと雨が降る、という言い伝えを捷平は知っていて、この句を作ったのだろうか。梅雨どきだから、猫はふだんよりしきりに顔を洗うのだろうか。さすがの猫も梅雨どきは外歩きもままならず、樹陰で雨を避けながら無聊を慰めるごとく、顔を撫でまわしている。ーーいかにものんびりとした、手持ち無沙汰の時間が流れているようだ。猫はオスでもメスでもかまわないだろうが、オスだから、何かしら次なる行動にそなえて、顔を洗っているようにも思われる。猫の顔洗いはヒゲや顔に付いた汚れを取る、毛づくろいだと言われる。しとしとと降りやまない雨を避けて、大きなあくびをしたり、顔を洗ったり、寝てみたりしている猫は、この時季あちこちにいそうである。ちょっと目を離したすきに、どうしたはずみか、突如雨のなかへ走り出したりすることがある。捷平が梅雨を詠んだ句には「茶畑のみんな刈られて梅雨に入る」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


June 1962014

 犬を飼ふ 飼ふたびに死ぬ 犬を飼ふ

                           筑紫磐井

心ついた時から何匹の犬と出会ったことだろう。家族が動物好きだったので犬と猫は絶やしたことがなかった。犬はシビアに家族の順位を決めるので五人兄弟の末っ子の私などは犬以下の存在で噛まれたり追いかけられたり散々だった。そんな犬たちも次々老いて死んでいったが一度犬を飼うと死んだ後の寂しさを埋めるように、また犬を飼い始めてしまう。結局最後は自分の老いと考え合わせて、最後まで面倒見切れないと判断した時点で「飼う」というサイクルも終わりを迎える。「犬」と「飼う」という言葉の繰り返しで、犬と人間の付き合いを、飼い主より先に死んでしまう犬への哀惜を、ひしひし感じさせる句だと思う。『我が時代』(2014)所収。(三宅やよい)


June 2062014

 妻ときて風の螢の迅きばかり

                           波多野爽波

波先生に師事していたころ、ご家族の話をうかがうことは少なかった。ただ、ある時、二次会の飲み会の席上で、奥さまの着物の着こなしが、お上手であることを、嬉しそうに話されていたことを思い出す。掲句、奥さまと歩いてきたら、風に乗った蛍が、速く飛んでいたという情景である。下五「ばかり」に、作者の心情が託されている。蛍と言えば、ゆらゆらと、ゆっくり飛び交っているのが、情緒あるもの。それが、風に流されて、速く飛んでいるのでは、情緒がない。意外性の中に、淡い失望を感じさせる。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)


June 2162014

 夏至の日に嫁ぐわが影寸詰まる

                           唐崎みどり

わゆるジューンブライドである作者。ヨーロッパでは雨が少なくいい季節である六月も日本では梅雨時、それをジューンブライドなどとは結婚式場の企業戦略にのせられているという向きもあるが、女神ジュノーに由来するとも言われどこかロマンティックだ。そして幸いこの句の作者は五月晴に恵まれ、今日の良き日を迎えている。寸詰まり、とは言うが、寸詰まる、という動詞は見当たらないのだが、ふと足元を見下ろした時の、嫁いでゆくという感慨とはかけ離れた感のある花嫁のつぶやきは、おかしみと同時に照れくささやもの悲しさの入り混じった得も言われぬ複雑な心情を言い留めている。『草田男季寄せ』(1985)所載。(今井肖子)


June 2262014

 潮干狩人波ひけば海来たる

                           辻 征夫

昔から、人と海は親しい関係にあります。辻さんは、それをユーモラスな構図に仕立てました。潮干狩りの人波が、一斉に引いたあとにはしばらくの間合いがありますが、人々の足並みをなぞるように海の波が静かに押し寄せてくる光景を遠望し、楽しんでいるまなざしがあります。陸と海との境界である砂浜を舞台にして、人間の時間と自然の時間が交錯しています。潮干狩りをする親子は、シャベルや熊手で砂を掘り、貝を手に取りバケツに入れます。現代の生活で失われている獲物をじかに採るという行為をとり戻して、縄文人のDNAがよみがえります。漁協が養殖し、事前にばらまかれている貝であろうと、子どもが太古のいとなみを体験することは貴重です。とくに、室内の遊びが多くなり、指先と目の条件反射で過ごす時間が長くなっている子どもにとって、砂と海にじかに触れ、掘り出しつかむ体験は、永く体に刻まれるでしょう。そんな遊びの時間も、潮が満ちてくると一斉に人々は人波を作って陸(おか)に向かって帰り支度を始めます。人は、家に帰らなければならない。親も子どももそう。満ちてきた遠浅の潮は徐々に波となり、今まで潮干狩りをしていた遊び場は、海になってしまいました。波は、帰らなければならない時間を教えてくれます。辻さんが、このように考えていたかどうかはわかりません。ただ、潮干狩りの一日を、他の要素をバッサリ切って人と波の動きに絞り込み、五七五の3コマに編集したことで、この一日がずーっと昔の一日でもあったような、そんな遠い心持ちにもさせてくれる俳諧です。なお、句集では、掲句の前に「潮干狩貝撒く舟のシャベルかな」があるので実景の句でしょう。『貨物船句集』(2001)所収。(小笠原高志)


June 2362014

 満月の大きすぎたる螢かな

                           矢島渚男

月といっても、その時々で見える大きさや明るさは異なる。月と地球との距離が、その都度ちがうからである。正式な天文用語ではないようだが、月と地球が最接近したときの満月を「スーパームーン」と呼び、今年は8月11日夜に見られる。米航空宇宙局(NASA)によると、「スーパームーン」は通常の満月に比べ、大きさが14%、明るさが30%増して見える。掲句の月が「スーパームーン」かどうかは知らないが、通常よりもかなり大きく見える満月である。そんな満月の夜に、螢が飛んで出てきた。実際に月光のなかで螢が明滅するところを見たことがないので、あくまでも想像ではあるが、このようなシチュエーションでは螢の光はほとんど見えないのではあるまいか。螢の身になってみれば、せっかく張りきって「舞台」に上ったのに……、がっくりといったところだろう。螢の句で滑稽味のある句は珍しい。『船のやうに』(1994)所収。(清水哲男)


June 2462014

 猫老いていよよ賢し簟

                           市川 葉

(たかむしろ)は竹を細く割って編んだ夏用の敷物。ひんやりとした感触を楽しむ。家から外に出さない猫でも、四季のなかで気に入りの場所は変化する。冬の日だまりや夏の風通しなど、猫はもっとも居心地の良い場所を選択する。掲句の猫も、どれほど年齢を重ねてもその賢さは衰えることなく、研ぎすまされた賢人のごとくしずかに目を閉じているのだろう。猫は犬と違って勝手で気難しいといわれるが、たしかにそんな面もある。飼い主はそこを利用することもある。例えば同集に収められる〈要するに猫が襖を開けたのよ〉などは、猫を飼う者にとっては苦笑とともに共感する作品であろう。失くしものや、食器を割ってしまったことなど、何度となく猫がやったことにしてこっそり罪をかぶせている。おそらく猫はすべてお見通しで、寝たふりをしてくれているのだろう。『ぼく猫』(2014)所収。(土肥あき子)


June 2562014

 金魚売買へずに囲む子に優し

                           吉屋信子

秤棒をかついで盥の金魚を売りあるくという、夏の風物詩は今やもう見られないのではないか。もっとも、夏の何かのイベントとしてあり得るくらいかもしれない。露店での金魚すくいも激減した。ネットで金魚が買える時代になったのだもの。商人(あきんど)が唐茄子や魚介や納豆や風鈴をのどかに売りあるいた時代を、今さら懐かしんでも仕方があるまい。小遣いを持っていないか、足りない子も、「キンギョエー、キーンギョ」という売り声に思わず走り寄って行く。欲しいのだけれど、「ください」と言い出せないでいるそんな子に対して、愛想のいい笑顔を向けている年輩の金魚売りのおじさん。「そうかい、いいよ、一匹だけあげよう」、そんな光景が想像できる。金魚にかぎらず、子どもを相手にする商人には、そうした気持ちをもった人もいた。いや、そういう時代だった。掲句には、女性ならではのやさしい細やかな作者の心が感じられる。信子には多くの俳句がある。「絵襖の古りしに西日止めにけり」がある。『全季俳句歳時記』(2013)所収。(八木忠栄)


June 2662014

 東京ははたらくところ蒸し暑し

                           西原天気

日都心に通勤しているが、「はたらくところ」というのは実感だ。東京の都心は生活の匂いがしない。窓のあかない高層ビルの只中に緑はまばら、夏の日の照り返しを受けた舗道を歩くとあまりの暑さに息が詰まる。冷房のきいたオフィスと戸外の気温の落差に一瞬目がくらむほどだ。「はたらく」という忍耐の代償としてお給料がある。と、新聞の人生相談に書いてあったけど、憂鬱な表情で通勤している人たちはどうやって自分をなだめているのだろう。今朝もまた人身事故で電車が遅れるという告知が電光掲示板に流れる。やってられないなぁ、と思いつつ掲句を呟いてみる。『はがきハイク』(2010年7月・創刊号)所載。(三宅やよい)


June 2762014

 帚木が帚木を押し傾けて

                           波多野爽波

の句に対しては、爽波はよく語っていた。同時作「帚木のつぶさに枝の岐れをり」と比較して、「『つぶさに枝に岐れをり』の方は、他の人でも詠めるかも知れないが、『押し傾けて』の方は、なかなか詠めないでしょう」と。「つぶさに」の方は、細かい観察眼がうかがえるが、「押し傾けて」の方は、帚木の存在そのものの核に迫っていく迫力がある。「帚木に影といふものありにけり高浜虚子」のように、従来の帚木のイメージは、はかなげなものであった。それを爽波は、力強い存在に詠んでみせた。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)


June 2862014

 梅雨に和す鰭美しき魚焼いて

                           神尾久美子

こんな感じです、と送られてきた動画を見てびっくり、かなり大きい雹が降っている映像、都内からだ。その日は都心でも雷が遠く聞こえて空は暗く大雨の予感、まさに梅雨最中という一日だった。うっとおしいけれど梅雨が無ければお米も実らないしな、などと言いつつ六月も終わる。雨ばかりだと滅入りもするが、外の雨を見ながらの家居は小さな幸せを感じるものだ。ゆっくりと時間を使って過ごせるそんな日は、勢いよく炒め物を作るより、じっくりと魚を焼く方が似合っている。グリルでタイマー、ではなく網で、魚が焼けていく様をじっと見ている作者。少し焦げ色のつき始めた鰭を美しいな、と思った時、和す、という美しい言葉が浮かんだのだろう。『新日本大歳時記 夏』(2000・講談社)所載。(今井肖子)


June 2962014

 羅をゆるやかに著て崩れざる

                           松本たかし

(うすもの)は、絽(ろ)の着物でしょう。昭和初期の日本の夏は、扇風機も稀でした。扇子、団扇、風鈴に加えて、いでたちを涼しく、また、相手に対して涼やかにみせる配慮があったことでしょう。作者は能役者の家に生まれ、幼少の頃から舞台に立っていましたから、他者から見られる自意識は強かったはずです。掲句は、自身が粋ないでたちで外出しながらも、暑さに身を崩さない矜持(きょうじ)の句と読めます。一方、これを相手を描写した句ととることもできるでしょう。となれば、相当しゃれた女性と対面しています。胸部疾患が原因で、二十歳で能役者を断念した作者ですが、繊細で神経症的な印象に反して、かなりの艶福家であったことを側近にいた上村占魚が記しています。また、「たかしの女性礼讃は常人をうわまわり盲目性をおびていた」とも。そう考えると、自身を粋に仕上げている女性を描写した句です。いずれにしても、絽の着物を召している作中の人物は、舞台上の役者のごとく背後に立つもう一人の自分の眼で立居振舞を律しています。同時に、そのような離見の見を相手に気づかせないゆるやかないでたちで現れています。現在では、もうほとんど見られなくなってしまった夏の浮世離れです。『松本たかし句集』(1935)所収。(小笠原高志)


June 3062014

 今走つてゐること夕立来さうなこと

                           上田信治

況としては、いまにも夕立が来そうなので安全なところへと駆け出しているというだけのことだ。でも、このように書くと、なんとなく可笑しくて笑えてくる。それは「何が何してなんとやら……」の因果関係の因子をひとつひとつ分解して、それらをあらためて見直してみようとする試みのためだ。しかもこの因果関係はほとんど条件反射的に起きているので、普通は省みたりはしないものである。つまり見直しても何の意味もなさそうなことを、あえて生真面目に見直すという心の動きが、可笑しみを生み出しているわけだ。ひょっとするとこの句は、トリビアルな物や現象にこだわる俳句たちを揶揄しているのかもしれない。俳誌「豆の木」(第18号・2014年4月刊)所載。(清水哲男)




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